「菊重ねの人人、表衣いろいろにて、その花の折枝を織り」『四条宮歌合』(ヌ)天喜五年(1057)十一月十七日五節の童女装束「中宮より童女の装束奉らせたまへり。紅の打ちたるに、菊の二重文のその折枝織りたる相、蘇芳の汗杉、竜胆の上の袴、みな二重文なり」『栄花物語』巻第36「根合はせ」「十九日降雨、童女御覧也、(中略)童女装束、自中宮被献〈汗杉、菊織物、金銀花点着、扇加献之〉」『定家朝臣記』天喜五年十一月同延長四年(926)九月二十八日「故源中納言宰相におはしける時、京極の宮すどころ、亭子の院の御賀っかうまつりたまふとて、「か、る事なむせんとおもふ。さ、げものひとえだせさせたまへ」ときこえたまひければ」『大和物語』第3段げ)八月二十一日「五の巻の捧物の日は、よろしき人よりはじめ、消息を聞え給へりければ、所いとせばげ也。袈裟や数珠ゃうの物は多くもて集まりたるに、取りて奉らんとする程に、右の大殿の御文、大納言殿に有(中略)青き瑠璃の査に、黄金のたち花入て、青き袋に入れ、五葉の枝につけたり。北の方、女君の御許に御文有(中略)唐のうすものの朽葉村濃なるーかさねに、いとけうらなる緋の紙五両ばかりづ、女郎花につけ給へり。数珠の緒とおぼしたる成べし。御かへり開ぇ給ふ程に、中納言殿よりとて、中の君の御文あり(中略)黄金して開けたる蓮の花を一枝造りて、少し青く色どりなして、白銀を大きやかなる露になしたりj『落窪物語』巻之三(ワ)寛弘五年(1008)五月五日土御門殿三十講「かくて四月の祭とまりつる年なれば、廿絵日の程より、例の叶講行はせ給。五月五日にぞ、五巻の日に嘗りたりければ、ことさらめきおかしうて、捧物の用意かねてより心ことなるべし。(中略)かねてより聞えし枚のけしきもまことにおかしう見えたるに、権中納言、銀の菖蒲に薬玉付け給へり。若き人々は目とどめたり」『栄花物語』巻第8「はつはなj(ヨ)「八月廿七日、この仏事の捧物に唐綾を持ちてかめをつくりて、前栽の花(※菊)ををりたてて、一首をむすびつけける……J『飛鳥井和歌集』415 1619 (タ)「前大納言為氏母の百ヶ日一品経すすめ侍りける捧物に水晶の念珠を桜の枚につけてつかはすとて」「玉葉和歌集』114-2396/2383 捧物史料切)「京極殿の五十講の捧物に、仏の御前の花(※桜)をして起こせたりし人……」『前斎院摂津集H37 26 -221-
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