鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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へと向けられている〔図3〕。1925年の作品はフロッタージ、ユ技法で表わされ、外界の情景が全く排除され、地震の発生するその地点が表わされている〔図4〕。同じ年に、「地震」の主題は「地平線と天体と線jというモティーフでも表わされ始める〔図59〕。画面を二分する水平線、その上に配された円形、そして画面下部を走る線が基本的な構成要素となっている。もちろんヴァリエーションをもって表わされてはいるが、1920年代の後半以降、地震の表現はひとつの型を得て定式化しているということができる。地震の表現は以上のような流れをとるが、基本的に風景画として表わされることがいえる。作品のタイトルには、「地震」という言葉とともに「海lamerJ、「海岸lecote」、「太陽l巴soleil」、「蛇leserpent」の単語が並列され、ときには「とても穏やかなfortdoux」という形容詞の付くことがある。このことからは、地震が作品の一要素として観念的に捉えられているということができるだろう。「地震」が単なる自然現象ではなく、象徴として捉えられていることを示す例は、1936年の『絵画の彼岸』に認めることができる。そこでエルンストは架空の世界を設定し、自らを三人称で呼びながら次のように語っている。彼女らにとって、彼の思考の本質である穏やかな暴力性と、彼が表わす優しさ穏健さを和解させることは難しい。彼女たちは好んで、彼をとても穏やかな地震と比較する。その地震はあらゆるところで整理整頓を行き届かせようとする意図のもとに、急かされるでもなくかすかに家具を動かす程度のものらしい(注4)。ここで地震はエルンストの本質の象徴として記されている。エルンストは「暴力性jと「穏健さ」という矛盾した性質を合わせもつ自分を、「とても穏やかな地震」に比して語っているのである。破壊をもたらす自然というよりむしろ、かすかに揺れながら物事に秩序を与えるという、矛盾した存在となっている。しかし単純に、地震をエルンストに結びつけて考えることはできない。繰り返し取り上げられる主題であることから、エルンストの創造においてなんらかの意味を担っていたといえる。以下において、1920年代前半の作品と「地平線と天体と線」の作品に分けて地震の主題について考察する。2. 1920年代前半の「地震」主題の作品1920年代前半の地震が主題となった作品には、共通して「穴jのモティーフが見ら226-

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