Lブルトンは、シュルレアリスム絵画を肯定すべく『シュルレアリスムと絵画Jを記る問題は、いくつかの先行研究で論じられている(注8)。文学者が主な核となって生まれたシュルレアリスムには当初、絵画のシュルレアリスムは正式に存在していなかった。その混沌とした時期に、ピエール・ナヴィールは『シュルレアリスム革命』誌(1925年第3号)においてシュルレアリスム絵画などあり得ないと主張した。それに対したのだった。シュルレアリスム絵画はどうあるべきかが、当時の問題としてあったことに注目したい。『シュルレアリスム宣言』においてオートマティスムが掲げられた以上、絵画においてもそれに相当するものが実現されねばならなかった。実はすでにそれを成し遂げていたのが、アンドレ・マッソンの「オートマティック・ドローイングj〔図15〕であった。速水論文では、エルンストが当時のこのような状況を意識していたことを指摘している。そしてエルンスト独自のオートマテイスム技法として強調されたのが、1925年に立ち現れたとされるフロッタージュだ、ったことを論じている(注9)。しかし、オートマテイスムに士すするエルンストの関心は、フロッタージュだけではなく、流れるような線のモティーフにも反映されているといえよう。催眠状態に陥ったロベール・デスノスの描いたものは、意味を成さない線であった。またマッソンのオートマティック・ドローイングは糠の連なりを特徴としていた。当時のシュルレアリスムにおいては、無意識から流れ出る線のモティーフが注目されていたと考えられるのである。そのなかでエルンストは、流れる線を「波打つ線」として独自のスタイルによって表現したのである。無意識の揺れを地震や海、湾岸流に象徴させながら、「波打つ線jが様々に表現されているのである。おわりにそれでは地震の主題は、他のシュルレアリストにも共有されていたのだろうか。あるいは地震を含めた自然現象の主題は、シュルレアリスムにおいて意味をもっていただろうか。その答えは否と言わなければならない。エルンストを囲むシュルレアリストのテキストや造形美術を見ても、同様の主題は見当たらず、エルンスト独自の主題であったことがわかるのである。ただしブルトンのテキストにおいて、注目されるべきイメージが見られる。私たちは地中でつづけられている機械的な狂宴のとりこである、というのは、坑道や地下道を掘ってから、爆破させたいと思う町々の下まで、一団となってっきす229
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