鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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る聞香炉と考えてよいだろう。金属製内張りはないが、囲内の類例と比べて明らかに香炉として作られたと考えられる、陶器を模した蒔絵の香炉を、小型で横長の提箪笥に収めた例もある(注7)。この香箪笥と呼ぶべき作品は引き出しと盆の組み合わせで構成される。同じような組み合わせの厨子棚(注8)や、さらに小箱を組み合わせた縦長の提箪笥(注9)、硯箱と源氏香の意匠を施した小箱を組み合わせた作品(注10)もある。そもそもこのコレクションの大部分は、複数の小箱をぴったりと並べて内に収め、口縁に香盆や懸子をかけて蓋をした、「香箱」と呼ばれるべき姿の小箱類なのである。デンマーク王室コレクションにも香炉類三点が含まれる(注11)。一方は1674年、もう一方は1690年の収蔵品目録の記載と一致するため、それ以前にヨーロッパに渡ったことが確実な小品である。また、十七世紀末から十九世紀初頭の歴代清朝皇帝が楽しんだ、蒐集用の箪笥や箱である「多宝格Jの中にも重香合(注12)、香炉(注13)、婚礼調度の一つに数えられる「沈箱」の懸子の中に通常六つ並んで収まる源氏物語意匠の小箱(注14)をはじめ、盆や小箱を組み合わせた容器やその部品が多数見いだ、される。さらに、イギリス貴族の館、パーリー・ハウスのコレクションにも類品がある(注15)。こうして管見する限りでも、江戸時代中期の輸出漆器には、国内で香道具として作られたと思しき品が、相当数含まれていることがわかるのである。第2章園内の香道の歴史江戸時代中期の香道具の例前章で見た蒔絵の品々の多くは十七世末から十八世紀中期にかけて日本で製作されたはずで、ある。当時の日本の香道界に何が起きていたのか、その歴史を振り返ってみよう(注16)。それまで貴族と上層武土だけの、文学と深い関わりを持つ高価な道楽であった香道は、近世を迎え空前の繁栄をみる。まず慶長年間(15961614年)には香を袋に詰めて用いる習慣が広範囲の人々に伝播。小型の袖香炉や香枕なども誕生。新しい香銘が続出し、娃継香を連歌的に楽しむ遊ぴ方も登場した。ちなみに『御湯殿上日記』にはこの頃の蒔絵屋が御所への正月挨拶に毎年のように香箱を進上したことが記されている(注17)。これはそれなりに上等品であったろうが、蒔絵屋としてみれば手頃で、恐らくは流行りの品として、名刺代わりに香箱が作られたことが知られて面白い。寛永期(1624-41年)には新興の武士や豪商237

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