40年)には志野流の家元制度が確立し、香道は最盛期を迎える。地方伝播が進み、香の社会に香道が普及する。元禄時代(1688-1701年)に町方の聞にも香を住く風習が広まると、ゲーム性の強い組香形式(注18)の遊技法が主流となる。組香が極度に発展し、視覚に訴える競馬香、蹴鞠香、舞楽香、花軍香などのいわゆる「盤物」が多く作られるようになるのもこの頃とされる。主な香道具の形式が完成し、伝書が作成された(注19)のは、町衆に香道が広がり香道具が多様化した結果、享保・元文の頃(1716人らによる香木研究も盛んとなり、伝書もこの頃に最も多く刊行された(注20)。このように当時、日本の香道は、マス・メディアに乗り、地方に向けて、また町人階級に向けて、未曾有の広がりを見せていた。それまでの伝統文化に憧れを持ちつつも、形式に拘らない自由な発想、の人々が、香の遊戯を誼歌したのだから、彼らのために趣向をこらした様々な香道具が製作されたことであろう。前章で見た輸出漆器は、ちょうどこのような日本側の文化的社会的背景を反映していると言えそうである。では、実際に日本国内に伝世した香道具の中に、前章の輸出漆器に類似する品は見出されるであろうか。重香箱、香炉は、様々な形式の十位香箱の中に散見されるので、特に例示するまでもあるまい。また縦長の提箪笥形式の香箪笥も枚挙に暇がないので、ここでは省略する。ただし、マリー・アントワネットの香箪笥や、パーリー・ハウス、清朝皇帝のコレクションに含まれる小箱(注21)と同工房の作と思われる重香合や香道具箱が、尾張徳川家に伝わったことは特記に値する〔図la, b、図2a, b〕。いわゆる刑部梨地に金銀青金の薄肉高蒔絵、金切金、付描に加え、金銀の型物象献、瞬、鋼、珊瑚を模して練物に貝を被せた象醍といった組み合わせの技法で、折枝などを散らした意匠の香道具である。この技法による作品の詳しい分析は別稿に改めるが、国内と海外の両方に伝わり比較の対象となりうる重要な資料として報告しておく。小箱や盆の組み合わせはどうであろう。製作時期や来歴は不明だが、例えば、東京国立博物館蔵「騎馬人物蒔絵香合J(注22)は果実形の小合子を複数内蔵する構造が、また、遠山記念館蔵「山水蒔絵六角香箱J(注23)は六角箱の中に同じく六角の盆を収め、その下に貝形小箱を並べる構造が、それぞれマリー・アントワネットのコレクションの作品(注24)と共通する。また、尾張徳川家に伝来したことが明らかで、いずれも個人蔵の「源氏蒔絵沈箱」「尾長烏桃蒔絵沈箱」「若松野馬蒔絵扇形香箱」「宝尽蒔絵香合」(注25)も盆や小箱で構成された箱で、江戸時代中期の作域を見せている。これらは徳川家の道具帳で香道具に分類されるものの、表向きの婚礼調度や唐物香合とは区別して扱われており、奥238
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