鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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ンが、自らの猟犬によって八つ裂きにされるという物語である(注20)。本稿は、これらの「ポエジアjに共通する狩のテーマについて、まず、この狩のテーマが当時持ち得た意味をいくつかの具体例によって明らかにする。さらに、この狩のテーマが当時担っていた意味と、〈デイアナとアクタイオン〉、〈デイアナとカリスト〉が制作された1556 1559年にフェリベ二世が置かれていた政治状況との対応、関連を検討することで、本二作品固有の政治的意味解釈を新たに提示したい。一狩の主題の持つ意味では、狩のテーマがどのような意味を持つものと理解されていたか、具体例を見ていきたい。クセノフォンが『狩猟法』において、狩は格好の軍事教育の場であり、若者は、狩猟という訓練を通じて戦術を身につけ、優れた戦士や軍事司令官となり、強靭な肉体と精神とを持って勝利を獲得し、国防に寄与すると述べているように(注21)、元来、狩は戦争を、狩人は戦士を表していた。クセノフォンは、この書の冒頭で、狩に興じるとともに武勇に優れることで永遠の名声を得た神話上の英雄たちに言及しているが、その一人がアエネーアスで(注22)、ヴェルギリウスは『アエネーイス』において、逃げ場を失った敵トゥルヌスを追跡するアエネーアスを、民にかかった鹿を追う狩猟犬にたとえている(注23)。また、狩の名手であったハドリアヌス帝は、自らが、総司令官として軍隊に敬礼する場面、抗争の絶えない国境地帯を平定して歓迎を受ける場面を表した貨幣を鋳造させ、自らを勇敢な戦士、帝国領の防衛者として表すとともに、帝自身が獅子、猪、熊を狩る場面を表した円形浮彫り(現在コンスタンテイヌス帝の凱旋門装飾の一部)と貨幣とを作らせ、自らを勇ましい狩人として表した(注24)。しかし、狩には危険がつきまとう。1509年、ピエール・ベルシュイールは『教訓化オウイデイウス』において「ヴィーナスとアドニスjの物語を「残忍な獅子、すなわち権力者や専制的支配者と戦うべきではないと言っている。そうではなく、とりわけ鹿や野兎、すなわちひ弱な者や逃げまどう者と(戦うべきである)。実際、世の権力者たちと戦った者たちは、彼らによって殺され、制圧された」(注25)と解釈し、狩を戦闘にたとえ、野獣狩=権力者との戦は危険を伴うので避けるようにと忠告している。16世紀半ばにおいても、狩のテーマはこうした意味をすべて持ち合わせていた。本二作品の制作が開始された1556年、ティト・ジョヴァンニ・スカンデイアネーゼは、ヴェネツィアのジョリート杜から『狩猟法四書』を出版し、フェッラーラ公エル15

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