鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
253/592

注(2) ルーヴル美術館蔵、MR380.87。(7) ギメ美術館蔵、MR380.77。日本でも展覧会で紹介された。京都国立博物館編『特別展覧会蒔(8) ギメ美術館蔵、MR380.66。向上。( 1) このコレクシヨンについては拙稿「江戸時代中期の輸出漆器ーマリー・アントワネットのコレ(3) ヴェルサイユ宮殿美術館蔵、MR380.83。(4) ヴェルサイユ宮殿美術館蔵、MR380.48,49。(5) 日高薫「海を渡った日本漆器II(18・19世紀)」『日本の美術jNo. 427 至文堂2001年、47頁。(6) ギメ美術館蔵、MR380.46。(9) ギメ美術館蔵、MR380.69。同上。盆はないが、ギメ美術館蔵、MR380.74、MR380.75も香箪笥of Denmark. The National Museum of Cope凶agen,1959. Dam-Mikkelsen, Bente. & Lundbrek, 目に留まり、見栄えもよく積荷としても場所をとらない商品として採用されたと考えるべきであろう。おわりに以上、ヨーロッパに伝わり、渡欧時期の下限を押さえることのできる江戸時代中期の輸出漆器の中に、国内向けに市場生産によって製作された香道具が多く含まれる可能性を、実作品の比較を基に指摘した。江戸時代中期になって海外に国内向けの漆器が輸出されるようになった原因は、単に香道の発展に限らず、都市生活の発達に伴い、町中の職人たちが市場生産による製品を店先で販売するようになったことにもあろう。例えば、いわゆる「高台寺蒔絵」様式によって飾られた国内向けの生活用具が、海外の十七世紀以前のコレクションに見出されないのは、あの時代には注文生産しかなく、国内向け製品の余剰など存在しなかったからではないか。不特定の需要者のための輸出品であっても新たな規格を注文しなければ品物が揃わなかったのであるから、輸出用と国内用とにはっきりとした違いが生じたのであろう。今回の論旨からは少々飛躍のある判断かもしれない。第二章で触れた刑部梨地に型物象献を併せた作品の比較分析とともに、今後詳しく論じられるべき課題として提示し、研究過程の報告としたい。クションを中心に」『漆工史』第22号漆工史学会1999年、25-66頁。で詳しく紹介し、分析したのでそちらを参照されたい。絵一漆黒と黄金の日本美一』京都国立博物館1995年。の類である。同ギメ美術館蔵、MR380.62。同上。仙Boyer,Martha. Japanese Export Lacquers : From the Seνenteenth Century in the National Museum -243-

元のページ  ../index.html#253

このブックを見る