⑫ 室町時代に於ける狩野派肖像画の基礎的研究一一騎馬の宗祇像を中心に一一研究者:福井市立郷土歴史博物館学芸員志賀太郎はじめにゆる出陣影に通有の形式であった。連歌師宗祇の騎馬像、ボストン美術館所蔵宗祇像(以下、ボストン本という。注1)は、現存する稀有な「例外」の一つである。しかしながら出陣影ではないものの、構図や馬の描き方に明確な違いはなく、ボストン本が出陣影のパターンを借りて描かれていることは明らかである。また16世紀半ば頃の狩野派の作品と位置づけられる点も、いくつかの出陣影と共通する。つまりボストン本は、像主が甲胃をまとわないことを除き、図像的に出陣影と何ら異なるところがない。これまで、ボストン本が騎馬像である理由については、主に、宗祇が生涯にわたって全国を旅したことが挙げられてきたが、連歌を生業とした者にとって各地を旅することは珍しいことではなく、十分な解明がなされているとは言えない。一方、出陣影と同じ形式という事実については、制作した絵師を知る手がかりとされてきたものの、制作の前提としての注文主の意図にまで踏み込んだ研究はなされていない。そこで、小稿は、数種が知られる宗祇像の中における、騎馬の宗祇像の位置づけを行い、その制作者(注文主)や制作の目的を明らかにするとともに、出陣影との比較により、宗祇像に出陣影と同じ形式が選択されたことの意味について考察することを目的とする。1 正座の宗祇像ボストン本と同時代に作られた騎馬の宗祇像は現存しないが、同様の画像は、複数作られていたと考えるべきである。その根拠は、ボストン本の馬や衣文の描線に一部筆勢に欠けるところがあり、また着衣の陰影を表す彩色にもやや形式化が看取されることに加え、文献史料中に、その祖本にあたる騎馬の宗祇像の記録が含まれていると考えられる点にある。ただし、このことは、騎馬の宗祇像より前に制作されていた宗祇像に関する記録と対比させることによって明らかとなるものであるため、まずは、寿像まで、遡って宗祇像の系譜を確認しておく必要がある。宗祇の寿像として最古のものは、『砂巌』(注2)所収の「見外老人肖像Jで、三条西実隆によって明応3年(1494)8月15日に着賛されたものである。内容から、初めて作られた宗祇の画像であったこと、肖似性の高い画像であったらしいことが確認さ15世紀後半から16世紀の問、騎馬の画像は、「例外」を除いて、武将の甲胃像、いわ249
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