コーレ・デステ二世に献呈した(注26)。著者自身が明言しているように、この『狩猟法四書』はクセノフォン、ヴ、エルギリウスらの著作にもとづいている(注27)。この書においてスカンデイアネーゼは、「猪狩りは君主にのみ相応しい、というのも、この狩に適した人物、武器、狩綱、馬、猟犬を所持していなくてはならないからである」(注28)と述べ、とりわけ「搾猛な野猪を狩るすさまじい狩l'horribilCaccia di fier Cinghial」を「恐ろしい戦争pauentosaguerraJにたとえている(注29)。この第一書では、勇猛な狩人であると同時に武勇に優れた戦士であった神話の英雄と古代王たちの不朽の名声について述べている(注30)。また、スカンデイアネーゼは、先に述べたように猪狩りを戦争にたとえる一方で、逃げまどう弱小動物を狩ったほうがよく、そのほうが安全であり、狩のあとの心地よい疲れを感じつつ、草花の生い茂る野で芳香に包まれて休息するのがよいとしている(注31)。さらに、ゴート人の侵入や象を伴ったハンニパルの遠征でイタリアが受けた被害に言及し(注32)、君主は城塞を築き、城壁を修繕し、敵に脅威を与えることにこそ配慮すべきであるとし、国防の重要性を強調している(注33)。このように、16世紀半ばにおいても、狩のテーマは、狩=戦闘、狩人=戦士、猛獣狩をしないようにという忠告=危険を伴う戦争の回避、平和維持という意味を持っていた。二新たな主題選択の理由の提示ここで、狩のテーマが持つ意味を、テイツイアーノが〈デイアナとアクタイオン〉、〈デイアナとカリスト〉を制作した1556-59年にフェリベ二世が置かれていた政治状況と照らし合わせてみたい。1556年、フェリベは父親の神聖ローマ皇帝カルロス五世の退位に伴い、新スペイン国王に即位した。同年、教皇庁が進軍を開始、スペイン支配下のナポリ総督アルパ公率いる軍隊と交戦すると、教皇庁と同盟を結んでいたフランスはイタリアに浸入した。アルパ公と教皇庁との和平協定は1557年に結ぼれた。同時にフランスは、仏・ネーデルランド国境問題でカルロス五世と結んだ、ヴォーセル休戦協定を破棄し、ネーデルランド進攻を再開していたが、1557年のサン・カンタンの戦い、1558年のグラヴエリーヌの戦いでフェリベ側が勝利を収めた結果、1559年にスペインとフランスとの間でカトー・カンブレジ条約が締結され、フェリベのヨーロッパにおける覇権が確立した(注34)。しがたって、ティツィアーノがフェリペ二世のために、狩=戦闘、狩人=戦士を表し、野獣狩をしないようにという忠告=危険を伴う戦争の回避、平和維持という意味を持つ狩のテーマにおいて共通する〈デイアナとアク16
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