3.風俗画か寓意画かリョの主要な注文主であったセピーリャの富裕な商人たちは、上記の制度には拘泥せず、風俗画や静物画などに見られる画家の描写の冴えを噌好する傾向が強かったという事実も挙げられよう。近年新たに〈花売り娘、春〉、〈果物と野菜の入った龍を持つ若者、夏〉と呼ばれることとなった2枚の作品は、ともに長き道のりを経て現在の名前にたどりついた。頭にターバンを巻き東方風の衣装をまとった少女は、はにかんだ美しい笑みをこちらに返す。肩からかけたショールで花々をすくい、画面のこちら側にいる我々に差し出さんとしている。〈花売り娘、春〉はムリーリョの風俗画においても特に人気を博し、多くの複製が制作されてきた。アングロはその大著において、〈花売り娘、春〉の意味内容を美と若さの移ろいやすさ、すなわち「ヴァニタスjの系譜に連なるものと見た(注3)。自身の説を補強するために、ムリーリョと同時代の詩人ピリェガス(Villegas)の詩「パラ」を引用し、その影響を指摘した(注4)。一方、フランクフォルトはイタリア美術との関連を重視し、この作品を当世風に描かれたアンダルシア地方の「フローラ」(春と花の神)と見た(注5)。彼の論を推し進めてより積極的に寓意内容を探ろうとしたのはブラウンである。「フローラ」像はローマにおいて高級娼婦をも指していたこと〔図4〕(ティツイアーノ〈フローラ>1515年頃、油彩・キャンパス、79×63cm、ウフイツイ美術館、フイレンツェ)を挙げ、絵が内包する性的合意を指摘した(注6)。またフレッチャーは『ギリシャ帝国の衰退史J(1662年)所収の版画「トルコの少女娼婦」(no.45) (1572年制作)につけられた銘文の「女性が耳の上に花を指す時、彼女は自らを提示している」という諺に着目し、画中の少女が差し出すのは単にパラだけでないと主張した(注7)。画面の背後に性的な意味を探る傾向は本作に限らない。例えば、〈果物と花の入った龍を持つ少女〉〔図5〕(165055年頃、油彩・キャンパス、プーシキン美術館、モスクワ(inv.2670))を見てみよう。女性単身像、恥じらい気味の微笑み、そして手にした花々と〈花売り娘、春〉との共通点は多い。イタリアや北方絵画の枠組みを適用するなら、果物や花と共にある田舎娘は、ともに感覚を刺激するモティーフを伴うことで、性的な魅力を発する力を備えていた〔図6〕(アブラハム・ブルーマールト〈ブドウを持った羊飼い>1628年、油彩・キャンパス、104×83cm、国立美術館、カールスルーエ)〔図7〕(ヘリット・ファン・ホントホルスト〈すももを持った羊飼い>1620 30年頃、j由来多・キャンノTス、77.8×63.5cm、カットン・ホール、アンソン・コレクションカミら-259-
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