賃借)(注8)。さらにこの場合、ほどかれたショールが意味を持つ。同様の身振りは彼の風俗画を代表する〈踏み台の上の4人〉〔図8〕(165560年頃、油彩・キャンパス、107×142.5cm、キンベル美術館、フオートワース)、〈窓辺の二人の女〉〔図9〕(165560年頃、油彩・キャンパス、125.1×104.5cm、ナショナル・ギャラリー、ワシントン(inv.1949. 9 .46))、〈ショールをあげる少女〉〔図10〕(1670年代、油彩・キャンパス、52.4×39.4cm、個人所蔵)の3枚にも確認できる。17世紀の後半のセピーリャにおいては、結ぼれたショールは女性にとって貞淑さの記号であった(注9)ことから、彼女たちの視線の対象は通りすがりの見知らぬ人か、それとも潜在的「顧客」か、解釈論争の焦点はそこに集約されてきた(注10)。それはひとえにムリーリョの風俗画の内包する暖昧さに起因する。それぞれのモティーフは作品をただ一つの意味に固定するには決定打を欠く。そのため、単体ではあやうい解釈であっても、類似する描写を持つ他の作品と補完しあうことにより、相互的に一つの傾向が作り上げられているとも言えよう(注11)。次に〈果物と野菜の入った龍を持つ若者、夏〉を見てみよう。端正な顔立ちの青年が龍一杯の色とりどりの果物を私たちに提示する。右肩からこぼれた美しい肉体はまぶしいほどに輝いている。彼の視線は体の向きとは逆のかなたを見つめているようである。本作においても主題を巡る迷走を経験したが、その様相は〈花売り娘、春〉とは異なるものであった。1808年にマニュエル・ゴドイが購入した折に「奴隷」とされたのを受けて、1857年にワーゲンが「花かごを持つ奴隷」と記述、まず作品のコンセプトを、ついで素描とモデリングの冴えを賞賛した(注12)。その後1885年にロンドンのロイヤル・アカデミーで開催された展覧会では龍の中身は果物に訂正され、題は単純に「奴隷」とされている(注13)。また、ロルデイットは、1904年の論文の中で「若きムーア人の奴隷」とし、陰影表現、深い襲、背景との対比など描写の彫塑的魅力を褒め称えていた。そしてここでも、手や肩といった露出部分のモデリングや素描のさえを褒め称える言葉で締めくくっている(注14)。「奴隷」から「果物売り」へと名称、が変化したのは、1999年にエデインパラのスコットランド国立美術館が同作を購入したことを報じる記事においてであった(注15)。画面を詳細に観察するなら、龍の中身は青みがかったりんごや梨といった果物であ260
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