4.コレクターと画家り、ターバンには麦の穂が挿されていることがわかる。これらは伝統的に「夏Jを象徴するモティーフとして機能してきた。この点に注目し、画面のサイズがほぼ等しいことからも、パルデイピエソは17世紀末のニコラス・オマズールの財産目録に記載されている、四季を描いた連作のうちの一枚であると同定した(注16)。パルデイピエソ自身は残りの3枚についての確定は急がず、特にダリッチ美術館所蔵の作品がその一枚におさまることに対して留保をつけていたが、ウィーンの造形美術アカデミー附属絵函館に、問題の2枚の複製画が所蔵されている(inv.523、524)ことが判明した。これらは1814年のタルデュー・コレクションの競売によりランベルク=シュプリンツェンシュタイン伯爵が購入(lotl3、14)、1822年に同館に寄贈したものである(注17)。また、両者の画面のサイズの異同については、〈花売り娘、春〉は上下左端が約7.Scm、右端が約Scm追加されていること、〈果物と野菜の入った龍を持つ若者、夏〉は四辺が切断されていることがそれぞれの収蔵館による状態調査によって確認されている。よって現在では2枚について対作品であることは広く受け入れられている。ダリッチ美術館所蔵の女性像とスコットランド国立美術館所蔵の男性像とが、それぞれ風俗画の様相を借りた「春」と「夏jを表す寓意画であったと判明した後は、積み重ねられてきた作品解釈についての再検討を余儀なくされる。現在遡ることのできる2枚の最も初期の所有者は、ムリーリョの有力パトロンの一人であった、セピーリャ大聖堂の参事会員、フステイノ・デ・ネベ(1625-85)である。彼の死後作成された1685年の財産目録に2枚は一組で記載されている(注18)。ネベ所蔵作品の競売の後、アントウェルペン出身の絹商人ニコラス・オマズール(1630頃1698)の手に渡った。オマズール自ら記した1690年と、彼の死後息子が作成した1698年の財産目録において、2枚は〈四季〉連作を構成するものとして挙げられている(注19)。その後再び所蔵が確認されるのはフランス在住の1737年のヴェル伯爵夫人(16701736)の財産目録を待たねばならない。ここで鍵となるのはオマズールの存在で、ある。彼のコレクションについて概略をまとめてみよう。1690年の228項目にも及ぶ財産目録のうち画家名の記された121,点の過半数を占めているのはスペインの画家の作であり、馴染み深い母国フランドルの画家の手になるものは全体の5分のlに過ぎない。主題別に分類するなら、最も多数を占めるのが祈念用の聖人像で、風俗画はその次に控えている。ムリーリョに関して言うならば、オマズール所蔵の作品31点(他に複製9点を所蔵-261-
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