鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(1698年の財産目録にのみ記載)(注23)をも所有していた。このことから、オマズーか3点のみが1690年の財産目録に残っているだけである(注24)。以上の分析より、オしていた)の約4割にあたる7枚が風俗画であった。最も早い年代のムリーリョの作品は1650年代、最後の注文は1681年、ムリーリョの死の前年であり、彼の画業において満遍なく収集されていることがわかる。このことから、前述したように、ムリーリヨが1690年代末から70年代にかけて風俗主題への取り組みを再び開始した理由の一つに、1669年にオマズールがセピーリャに到着したことが大きいと考えるのは妥当だと思われる。オマズールのコレクションの中には、ベラスケスの初期風俗画の傑作〈卵を料理する老女と少年}(1618年、油彩・キャンパス、99×117cm、スコットランド国立美術館、エデインパラ)も含まれていた。また彼は1682年ムリーリョの死後聞かれた競売において、記録に残るムリーリョ唯一の神話画、〈音楽、バッカスと愛〉(ただし現存せず)を購入していることがわかっている(注20)。またイタリアの画家の手になる、〈神秘〉と、〈科学〉、〈豊穣〉(それぞれ1690年の財産目録にのみ記載)(注21)を、さらには作者不明の連作〈五感の寓意〉(すべて1698年の財産目録にのみ記載)(注22)、と〈慈悲〉ル個人の晴好として風俗画ならびに寓意画があったことは十分想定される。しかしこれをもって、熱心な美術愛好家像をオマズールに当てはめるとするならば、それは少々早合点であると言わねばならない。彼の2つの財産目録を作品の出入に着目して比較すれば、1690年から1698年にかけて、54点が消え、あらたに50点が加わっている。ムリーリョ作品に関してはわず、かl点が目録から外れたわけであるが、1682年の画家の死後の競売で最多落札者であったオマズールが購入した6点のうち、わずマズールは作品を収集することに執心していたパトロンであったというよりもむしろ、同氏のコレクションの構成は常に変更がなされていたと考えられよう。さて、〈花売り娘、春〉と〈果物と野菜の入った龍を持つ若者、夏〉に戻るとしよう。〈四季〉連作は17世紀セピーリャのコレクターの間では人気の主題であった。しかしそれらは力点が人物よりも風景画に置かれたものであった。また、イタリアにおいて四季を擬人化した作例を探すことはできるが、多くの場合人物たちは理想化され、神話の中から抜け出したかのような装いであり〔図11〕(ベルナルド・ストロッツィ〈春と夏〉、1640年頃、油彩・キャンパス、72×128cm、アイルランド国立美術館、ダブリン)、ムリーリヨが措いたような、風俗画と寓意画の危うい境界線に立つものではなかった(注25)。3章で〈花売り娘、春〉がイタリア由来の「フローラjの系譜に連なるとの解釈を262

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