5.むすび紹介したが、〈果物と野菜の入った龍を持つ若者、夏〉では特にカラヴアツジョの影響が見て取れる。例えば、〈果物龍を持つ少年〉〔図12〕(1593-94年、油彩・キャンパス、69.9×67cm、ボルゲーゼ美術館、ローマ)や〈バッカス〉〔図13〕(1597年頃、油彩・キャンパス、94.9×85.lcm、ウフイツィ美術館、フィレンツェ)と比較するならば、むき出しの右肩、龍いっぱいの果物の表現など、共通する要素を指摘することができょう。また逆に相違点として挙げられるのは、カラヴァッジョに見られたより直接的な同性愛的志向は、ムリーリョの作品においては、画中の男性の視線を観者からそらすことで免れているということである。ムリーリョが直接これらの作品を見た可能性は低いが、例えば、ネベやオマズールといった富裕な商人たちから何らかの形でこれらの主題についての情報を得ていたと考えることは可能であろう。そのような傾向は前出の〈窓辺の二人の女〉にも確認できる。レンプラントの〈窓辺の少女〉〔図14〕(1651年、油彩・キャンパス、78×63cm、ナショナル・ミュージアム、ストックホルム)と比較するならば、ムリーリョが「窓jと「頬杖をつく女性」というモティーフの着想の多くをレンプラントに代表されるオランダ絵画から得ていることは明白であろう。しかしながら、レンプラントの例においては、この設定の眼目は少女が画中の窓を飛び出し観者へと迫る「だまし絵j的効果であり、またそれを受容する側にしても描写の巧みさを味わうことを求めていた。これに対しムリーリヨの場合、この構図はまったく別の文脈に投げ込まれることになる。画家は枠組みは借用しつつも、そこに同時代のセピーリャの風俗をさりげなくもぐりこませることによって、この絵を鑑賞した富裕な商人たちに、描かれたもの以上の内容を喚起させたに違いない。それはいかにも周到に張り巡らされた毘のようであり、気づいたものだけが手にすることのできる褒美であったとも言えよう。この論考では、ムリーリョの中では特異ともいえる同時代の風俗表現を借りた寓意画を取り上げ、それらをめぐって展開された解釈論争をもう一度整理し、その問題点を指摘した。そこで、浮かび上がったのは、ムリーリョの風俗画の多様な要素の混在性であった。それは「暖昧さ」ともいうべきもので、結果として多くの論を誘引し、さらには一つの作品についての仮説が、別の作品にまつわる仮説と互いに絡み合い、相互参照的な様相を呈していた。しかしながら、個々の作品の元来の所有者の晴好を分析し、同時代の美術状況、さらにはイタリアやオランダの作例と比較するとき、私たちを惑わせたその多様性、暖昧さこそが、ムリーリョの作品の一番の魅力であったと-263-
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