鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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nhu ⑮ ケル卜美術史上における工卜ルリア文明の影響について一一パルメット・口ータス文の変容を中心として一一一研究者:立命館大学大学院文学研究科博士後期課程望月規史はじめに近年、ケルト美術に大きな関心が寄せられてきている。1991年にイタリアのヴェネツイアで開催された「ケルト文明展」は、それまでの研究成果を総括した過去最大の展覧会であり、一連のブームの頂点を成すものであった。また我が国でも、1998年に東京都美術館で「ケルト美術展」が開催され、話題を呼んだことは記憶に新しい。一般に、この美術は古代と中世を包摂し、エジプトやギリシアなど他の古代美術と比べて長大な時間・空間幅を有しているものとされる。このうち古代のケルト美術は、考古学的にはヨーロッパ第三鉄器文化であるラ・テーヌ〔LaTとne〕文化(注1)の装飾様式に相当する。この美術が、アルプス以北の地域がローマに征服される過程で衰滅していくことは、我が国でも知られている。しかし一方で、その成立過程については殆ど紹介されて来なかったと言ってよい。ケルト美術史の泰斗として知られるパウル・ヤーコプスタール〔PaulFerdinand Ja-cobsthal : 1880 1957〕は自著(Jacobsthal,1944)のなかで、この美術の源流に以下の3点を想定している。即ち、1: (西方)ハルシュタット〔Hallstatt〕文化(注2)の伝統をひく幾何学文様、2:ギリシアないしエトルリアから借用された地中海世界の植物文様、そして3:動物文様などを中心とした東方的要素である。このうち、エトルリアの果たした役割というものが具体的に何を示すのか、という点については、今も漠とした状態にある。エトルリアについては、1990-91年にブリヂストン美術館開催の「エトルリア文明展」で初めて我が国に体系的に紹介された。またヨーロッパでは199293年に過去最大規模で、「エトルリアとヨーロッパ展」がパリとベルリンで開催された。一連の紹介により、エトルリアが建築・宗教・美術など極めて多岐に渡る影響を、後のローマ文明に及ぼしたことは次第に認知されつつある。しかし、それ以前に交易活動を通じてアルプス以北に及ぼした影響については殆ど省みられていない。上記のように、「ケルトjと「エトルリア」は早くから関係性を指摘されてきたにも関わらず、その実証的な研究は立ち遅れていると言わざるを得ない。小論は、ケルト美術の成立過程を探る一試論であるばかりでなく、これまで我が国では別個に紹介されがちであった二つの古代社会の関係を、明らかにする試みでもある。

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