鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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心に彫金による加飾が行われている一方、器面全体への施文意欲は低い。ラ・テーヌ文化圏における装飾は、ローマの影響を強く受ける紀元前1世紀頃まで繁縛化の一途を辿るとされる。しかし上記のように、LT-A期ではむしろ施文範囲は限定的とみるべきである。次に、文様であるが、その複雑な構成を読み取ることは容易ではない。しかし文様展開図〔図3〕をもとに注意深く観察してみると、その基本構成がパルメット・ロータスを祖形とした文様から成り立っていることに気づく。頚部の文様帯で、注口の直下に大きく垂れ下がった箇所があり、緩やかな膨らみを持ったS字曲線が、円と円を繋ぐかたちで上下に伸びている。これを天地反転させてみると、実は花弁などの細かな部分が消失したパルメット・ロータスであることが認められる。これが頚部では、天地が逆のまま並置反復されている。また胴部の文様帯にも、頚部と同様のことが見られる。この文様帯は、水平線によって5つの区画に分かれており、中央の無文帯を軸線として上下が線対称構成になっている。上下ともに一番外側の区画には、頭部と同様の並置反復がなされている。因みに、S字曲線の端部にあたる円は渦巻文とはならず、あくまで同心円を保つ。円弧に歪みが見られず、円の中心に針痕と思われる刺突点があることから、施丈にコンパスが用いられたと考えられる。施丈に際してのコンパス利用は、幾何学文様作成において青銅器時代以来ひろくヨーロッパでみられる技法である。頚部・胴部ともに、円を端部とした並置反復を基本として文様帯を構成している。しかし、本来明快さを特徴とするパルメット・ロータス文を祖形とし、なおかっその並置反復が基本でありながら、何故、これらの文様帯は複雑な印象を与えているのであろうか。ここに報告者は「視覚の転換」を挙げたい。即ち、心理学でしばしば用いられる「ルピンの査」のような、視点の多方向性・多重性である。文様の祖形にパルメット・ロータス文を見出したのは、円と円に挟まれた箇所を観察した結果であった。しかし、円そのものを中心に文様帯を捉えた場合、そこには全く異なる文様構成が立ち現れてくる。例えば、胴部文様帯の無文区画の上下には、一回り小さいロータス文が施文されている区画がある。ここでは端部の円を境として、ロータス文が反転されている。しかし、円を結節点として視点の中心に据えると、今までロータス丈の反転として見えていたものが、円を中心に旋回しているような印象を与える文様となる。このような視覚上の現象が装飾効果として利用されることは、簡素な幾何学文様を基本とするハルシュタット文化には見られない。つまり、初期様式の文様帯は、視点をどこに置くかによって、見えてくるものが異なるのである。それは、装飾効果を計算-273-

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