た『北海道美術史〜地域文化の積み上げ』(北海道立美術館、昭和45年)が、長い間基礎的文献として扱われている。それ以前にも今回は、『北美』創刊号(昭和33年7月)に「繁明期の北海道美術史稿」として明治末から大正末期までの動きをまとめ、それに続く道展創立以降を『美術北海道』創刊号から通巻11号まで(昭和37年3月〜昭和40年5月)に8回にわたって連載した。一方なかがわは、読売新聞北海道支社版に昭和34年8月5日から9月20日にかけて41回にわたって「北海道の美術」を連載している。読売新聞での初めての仕事であり、ほぼ毎日1400宇前後におよぶ濃密な文章が続いている。北海道の美術の歴史的流れを踏まえたうえで、多くの作家を挙げながら現状を地域ごとに分析、その内容は札幌だけではなく、小樽、岩内、函館、旭川、道東など全道にも及ぶ。さらに、絵画だけではなく、彫刻、デザイン、書道、工芸の動きも取りあげており、今回の美術史に比してもこれらは系統的に北海道の美術をまとめた最も早い例として特筆すべきものであろう(注5)。なかがわ・っかさが北海道に来て5年足らずで全道の全ジャンルに精通したのには、多岐に渡る多くの作家との積極的な交流とともに、昭和33年に豊平館で開催された大規模な北海道博美術展に深く関与したことにも関係している。7月5日から8月31日まで札幌中島公園の豊平館で開催された北海道博美術展は、版画、水彩画、油絵、日本画、彫刻、工芸、書道、宣伝美術の各分野の339人を三期に分けて展示するという北海道初の画期的な総合美術展であった。その選考にあたって、彼は竹岡和田男とともに三千人の候補から初期リストを絞り込む作業に携わっている。こうした各分野を見通す視点は、後の『美術北海道』でも貫かれ、書、デサイン、彫刻を特集した号の発行にもつながっている。さらに、今回敬ーが『北海道美術史Jのなかでなかがわの業績のひとつとして挙げているのが、北海タイムスに昭和35年3月27日から6月15日まで連載した「忘れられた名作・北海道の物故作家たちjである。三岸好太郎、林竹次郎、山本菊三、山田正、育原翠洲、小山昇、石野宣三、兼平英示、山崎省三、工藤三郎、小柳正、山田義夫、伊藤信夫、居串佳一、阿部文之助、本間莞彩、上野山清貢、俣野第四郎、山内晴一郎、大塚謙三という20人の評伝である。また、『美術北海道』においても、「道産子画家伝」を連載し、木田金次郎、能勢員美、田辺三重松、中村善策、田中忠雄、菊地精二を取りあげている。いずれも現在でも納得できる的確な人選であり、綴密で正確な記述からは、いかになかがわが北海道の作家に対して深く理解していたかを知ることができる。284
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