⑮祭礼図の系譜に関する基礎的研究研究者:滋賀県立近代美術館主任学芸員はじめにこれまで祭礼図は、中世末から近世の作例を中心に、風俗画としての観点から検討が進められてきた。作者比定の問題も含めて、作品の様式といった絵画史上の位置付けが論じられたり、景観年代から制作期を絞り込んだり、また近年では作為をっきとめることで、その作品固有の制作事情を論証する試みもなされている。むろんこれらは大きな成果を生んできたが、各作品ごとの研究が中心であった。しかし祭礼図そのものの意味と機能を、さらに広い視野のもとに聞い直す必要があるのではないだろうか(注1)。すなわち祭礼の在り方、および祭礼図をそれを生んだ社会の一表相として確認し、ここから各作品に戻ってその個性を解読してゆく作業の必要性を強く思う。幸いなことに、平安末期のありさまを伝える「年中行事絵巻」祭礼場面の模本数種が絵画資料としてのこり、また扉風歌からは、文字資料のみだが、それより古い時期の祭礼絵画化の様相を掴むことができる。そして、やはり文献上に名をとどめる鎌倉期の作例、僅少だが室町期の掛幅、扉風、扇面、およびそれらの近世期の模本、そして近世の作品群へと、洛中浩外図や十二ヶ月図中の祭礼場面も対象に加えると、祭礼図はかなり通史的にたどることができる。そこで本報告では、祭礼図研究の序章として、中世までの祭礼図の系譜をたどってみたい。このあと近世に入ると多岐にわたって展開する祭礼図の起源と、変容の過程を、絵画化の基盤という観点から、論じてみたいと考える。なお、京の祭礼のかたちを激変させることを余儀なくした応仁の乱までの時期を、本稿の対象とする。一祭礼図の起源現存最古の作例としての祭礼図は、近世の模本しか残らないが、平安末期に後白河院が関与して制作されたと考えられる「年中行事絵巻jである。しかし、それ以前の祭礼の絵画化の様相も、扉風歌を中心に探ることが可能で、ある。〔表l〕はこれらから、「年中行事絵巻jまでの時期の、祭礼の絵画化をまとめたものである(注2)。これによると、大神、賀茂、石清水、春日といった、朝廷の祭杷を描いたものと、民衆のまつり、すなわち二月の回の神まつり、四月および十一月の家おおみわ園賀由美子(申請名岩田由美子)-303
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