鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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側『群書類従J六輯所収。(21) 『師光年中行事.I(『続群書類従』十輯上所収)。凶(注19)『参軍要略抄J宮内庁書陵部蔵本。凶蓮華壬院惣社については、竹居明男・吉津陽「『古記J逸文承安五年六月十六日条をめぐってj。1)戦前の『日本萱大成J二大和総二、東方書院、1932年、第28図に、伝行秀筆の図版を載せるが。3)拙稿「『年中行事絵巻J新日吉本についてj『神道史研究」35-1、1987年、33〜52頁。つ臼つd(14) 『兵範記J保元元年三月十日条、同四月二十四日条。伊勢・石清水・賀茂・松尾・平尾・稲荷・春日・大原野・大神・石上・大和・広瀬・竜田・住吉・日吉・梅宮・吉田・広田・祇園・北(15) 『百錬抄』永保元年十一月十八日条。15~ 6、1987年、9〜12頁。また駒形稚児については、河原正彦「祇園社の上久世駒形稚児についてj『文化史研究』14、1962、13〜28頁に詳しい。(注1)の八反氏二論文においても、近世期して記す。野・丹生・貴布禰の各社である。制『兵範記』保元元年閏九月十八日条。同『百錬抄.I¥台承三年二月二十四日条、『山塊記』治承三年二月二十九日条。同『玉葉』『百錬抄J承安二年六月十四日条。同『参軍要略抄](『続群書類従』十一輯下所収)。ただし馬長に関する記事は宮内庁書陵部蔵本にのみ記載がある。馬長記事に関しては五味文彦『院政期社会の研究J山川出版社、1984年、350頁。『文化史学』57、2001年、175〜191頁に詳しい。凶『玉葉』承安五年十月三日・六日、治承二年十月五日条。『百錬抄J承安五年十月三日条。同報告者企画編集『月次絵十二ヶ月の風物詩1展カタログ、滋賀県立近代美術館、1995年、171頁解説に詳述した。凶このような祭礼の場面も[都市図]としてとらえ、一種の[国見図]として「年中行事絵巻」に[高度に政治的な意味]をよみとる見解も提出された。永井久美子「『年中行事絵巻』の都市描写一後白河院政期におけるく異界〉の把握をめぐって」『風土と文化.I4、2(03年、11〜20頁。間「年中行事絵巻」に描かれる祇園御霊会駒形稚児については拙稿「後白河院と祭礼」『歴史手帖』の例に言及されている。凶石清水臨時祭は〔表2〕にみるように鎌倉期以降も描かれる。また、幕末の復古大和絵派、冷泉為恭の作品に「年中行事図扉風J(白鶴美術館蔵)があるが、右隻は「年中行事絵巻」の騎射に取材し、左隻は石清水臨時祭を画題とする。ただし、左隻画中の人物は関白賀茂詣の段に取材しており、為恭の時点ですでに石清水臨時祭の場面が亡失していたことを類推させる。倒(注9)河音著書、74頁。側(注4)井上論文、24頁。現在所在不明である。なお、この作品の近代の模本が賀茂別雷神社に伝わる。同京都市立芸術大学蔵「締本目録」(宮島新一『宮廷画壇史の研究』至文堂、1996年、356頁所載)に「一深草祭光重」とある。倒泉万里「祭礼草紙考j『日本美術史の水脈」ぺりかん社、1993年、393〜418頁。同「月次祭礼図模本についてJ『園華.l1230、1998年、9〜22頁。(湖安達啓子「月次風俗図扇面とやまと絵Jrミュージアム.l511、1993年、31頁。安達氏はここで伝統的モティーフ、郊外の風景という性格が都市の景物としては異質であるため、光円寺本に採択されなかったとみておられる。

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