qtυ d用いられるが、五代末から北宋初期には白化粧のタイプと併行して、精製された白色の胎土を用いて白化粧を施さない上質の製品が現れる。この白色素地の上質品は、博物館蔵品や墳墓出土品が比較的多数知られていたにもかかわらず、長く産地が不明であったが、1980年代に行なわれた黄壁鎮窯の発掘調査により、耀州窯で生産されたことカ宝明らかとなった(注4)〔図3〕。白化粧を施す製品は、碗・皿類の場合、底部の施紬方法と目跡の形態により以下の三種に分類できる。I類:底部を含めて全面に施粕しているが、高台高端部全体に砂が付着する。高台形は細く高めである。底部付近は白化粧土が掛けられていないため、この部分の粕が褐色に発色するものが多い。単線の劃花文が施されるものもある。粕色は緑青色を呈するものが多い〔図4・5〕。E類:全面施紬され、高台端部に粗目の砂をまとめて置いた目跡が3・4ヶ所残る。高台形は細く低い角高台が主体である。胎土は黒褐色を呈するものが多い。光沢のある美しい天青色柚が厚く掛けられる〔図6〕。E類:全面施紬され、高台内(外底面)に三叉トチンによる小さな胎土目跡が3ヶ所残る。E類と同じ光沢のある天青色柑が厚く掛けられ、胎土は黒褐色を呈するものが多い。碗の高台は細く低い角高台で〔図7〕、皿は無高台の碁笥底になる〔図8〕。I類は、五代の全期を通じて生産されたが、E類・ill類は紀年墓の出土例(注5)から五代後半期を中心に生産されたと考えられる。また、E類・ill類には、外底部に「官」字銘が施されたものが発見されている〔図9〕。白化粧土を施さない上質品は町類とする。N類:白色の精製された胎土を用い、白化粧土は施さない。紬は全面に施した後、高台端部の紬を削り落とす。高台端部には粗目の砂が付着することが多い。紬は、鮮やかな天青色で、厚く施され光沢がある。水注や壷類では、胴部に彫りの深い大胆な刻花文を施すものがあり〔図10〕、托などには貼花文が施される。碗は器壁が非常に薄く、精織なものが多い。I・ II ・ ill類に比べて、はるかに上質であるが、窯祉での出土量は圧倒的に少ない。小山富士夫がかつて、このタイプの産地を宋代の文献にある「東窯」と推定する説を示したことにより(注6)、これを「東窯タイプ」と呼ぶこともある。遼墓での出土例が多く、生産年代は五代末から北宋初期と考えられる。なお、このタイプの彫りの深い刻花文とやや遅れて現れる北宋代・磁州窯の由来由掻落技法が近似しており、耀ナト|窯から磁州窯への技術・意匠の影響が窺われる。ハ同
元のページ ../index.html#329