鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(8) 2002年に陳炉鎮などで大規模な調査が行なわれ、金代以降の耀州窯の陶主主生産状況が明らかと(9) 明代『格古要論』(曹昭)では五代に柴窯という天青利青姿を生産した窯があったとの記載があなった。る。中国では近年、五代・耀州窯が柴窯にあたるとする研究者が多い。同張公巷窯の状況はまだ明確にされていないが、筆者は出土遺物を実見し、多重紬掛けが行なわれていることを確認した。323

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