鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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して軽んじられ、日本美術の規範の周縁においやられることとなった。しかし近年、状況は変わりつつある。地図扉風は多くの美術愛好家の関心をひき、日本のみならず外国の展覧会の常連となっている(注5)。近年発表された日本の学芸員による研究は、扉風に見られる東洋と西洋の融合や異国風の要素に主眼をおき、)弄風を16世紀から17世紀という短期間の西洋と日本の交流に光をあてる歴史資料として重要視している。現在、三好唯義と神戸市立博物館の学芸員が地図と地図扉風に関連する研究の主導者である。三好は、博物館にある地図と世界地図扉風に関する著述を数多く出版しており、日本の地図扉風と西洋の参照源との様式上の関連の理解に大いに貢献している(注6)。北米の大学に提出された後藤朋子氏の修士論文は、地図扉風の批判的分析に先鞭をつけたという点において非常に重要である(注7)。彼女は扉風を“他者”を通じた“自己”の構築として解釈している。この論文においては、宮内庁三の丸尚蔵館本に掲載されている世界地図扉風が日本でのキリスト教普及においてどのような役割を果たしていたか、そして、当時形成されつつあった、一つの共同体としての日本の自己認識を扉風はどのように具現化しているか、という二つの問題が提起され検討されている。後藤は、日本人の一つの共同体としての意識は、ナショナリズム的気運において引き出されたものというよりは、寧ろ、当時高まりつつあった、他者との関係における日本人の自己認識であり、地図扉風はその表象であると論じている。しかし、彼女の議論は、この宮内庁本の扉風のみを、ポストコロニアル批評の理論的枠組みによって解釈するという限定的なものでありまた、実際の造形表現と、世界観の相違に関する問題については何ら言及していない。しかしながら、やはり、彼女の論文は重要で、ある。絵画的要素や様式上の問題にのみ焦点を当てている初期の研究とは異なり、地図扉風を何らかの意味を産出するものとして解釈しているからである(注8)。地図は、そこに意味をよみこみ、解釈したりすることのできる、一つの表象のシステムであると考えるならば、このような地図扉風に関する批判的考察は、重要な意味をもつのである。扉風の描かれた表面のその背後にある意味を、読解し、解釈することは非常に意義深く、また興味深い。この数年の問、文化地理学と社会地理学は、地図解釈だけではなく、社会地理学の全領域及び時間と空間の構築に関する解釈に多大な影響を与えてきた。カレン・ウイーゲンの研究や、より最近のものではマルシア・ヨネモトの研究は、日本研究において文化地理学と社会地理学が新しい領域として出現しつつある、その一例であるといえる(注9)。-331-

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