鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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致と共通することから、1627年頃と考えられる(注2)。とはいえ、この二作品には様々な相違点も見出される。モティーフの点では、脚部のポーズなど細部の違いも見出されるが、ドレスデン素描の兵士が槍を右手に持っている点が顕著な点である。しかしより本質的な点として、ドレスデン素描のほうが、ミュンヘン素描よりも陰影表現の点でより一貫性のある確固とした描写性を示していることが挙げられる。ドレスデン素描では、人物の足元に投影された影が幅広いハッチングで描かれているため、差し込む光の放射がより具体的に暗示され、明暗の区分が画面全体で統一的に配分されているのである。それとともに、例えば腰にすえた左腕の下時部、左上腕部の陰影は、より人物像の確固とした印象を鑑賞者に伝えるものである。そのため、二作品を比較すると、ミュンヘン素描はやや脆弱な印象を与えるものとなっているのである。研究史この三作品が示す質の違いは、初期レンプラント素描の帰属問題に光を当てるものである。従来の研究において、ドレスデン素描はレンプラント作として扱われる一方、ミュンヘン素描の帰属には疑問が提示され、ヤン・リーフェンスである可能性が示されることがあったのである(注3)。この帰属問題は、レイデン時代の他の素描にも見られ、いくつかの作品はレンプラントとリーフェンスの問で作品帰属の様々な解釈がなされているのである(注4)。帰属問題と同時に、この二つの素描は、人物像素描の意図、目的についても様々な可能性を提示している。ベネシュはドレスデン素描を、同年制作の小画面絵画〈ゴリアテの首をサウルに差し出すダピデ〉〔図3〕(Br.488、パーゼル公立絵画コレクション)の画面右端の兵士の手本であると解釈し、この素描が実物のモデルを手本として描いたものと考察している(注5)。もう一つの可能性は、この人物像が、レンプラントとリーフェンスの共通の師匠であるビーテル・ラストマン(1583-1633)の絵画中の人物像の模写である、というものだ(注6)。このように、この二つの素描は、作品帰属と人物像の機能という点から注目されている。このような状況にある中、この二つの素描は、2001-02年に行われた大規模なレンプラント素描展で初めて並置される機会を得た。そこでは、ミュンヘン素描に対して、カタログの表記ではレンプラント作とされているが、解説文中ではこの帰属が疑わしいことを表明し、最終的な決定は留保されていた(注7)。以上のように、ここで提示した諸問題に踏み込むには、レンプラントのレイデン時340-

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