レンプラントとリーフェンスの素描様式の展開とミュンヘン素描の帰属それでは、ミュンヘン素描にリーフェンスの可能性が指摘されるのは何故であろうか。それは、両者が上記のように、類似した出自を持っていたからに他ならないが、同時に両者の描法が相互作用したからである。この問題に答えるためには、両者の相互の影響関係を指摘しなければならない。リーフェンスは、レンプラントよりも若い年齢でラストマンに学び、若くして画家として独立しているが、この画家の描法には、師匠の描法の痕跡がより明確な形で見出される。彼の措法は、〈ゲッセマネのキリスト〉〔図8〕(Sum.1625x、1627/28年頃、ドレスデン版画素描館)のキリストの描写にも見られる、流麗な描線による輪郭線と、ハッチングによる内部形態の陰影描写にも見られる。線的な要素の強調されたリーフェンスの描法に対して、従来の研究で、ラストマンによる〈ニコラース・ラストマンの肖像〉〔図9〕(1613年、クストデイア財団)に見られる線的な様式との関連に注目し、その輪郭線の強調された描法が、師の描法を引き継いでいるものであることが指摘されている(注12)。また、上述の〈メルクリウス〉に見られる、輪郭線の強調されたチョークの描法も共通しているといえるだろう。ただ、リーフェンスはこの後、線的な描写を保持しながら陰影の階調を重視したレンプラント的なスケッチ的な描法に影響され、より聞かれた輪郭線を用いて描写するようになる。1629年頃に制作された〈横向きの老女〉〔図10〕(Sum.1639x、個人蔵)を見ると、この女性の顔面部分にはリーフェンス独特の途切れない輪郭嫌が用いられる一方、背中には途切れ途切れの線が用いられている。これは、レンプラントの〈正面を向いて立つ老人〉〔図6〕に見られるレンプラント独特の描法といえるもので、人物全体が輪郭で固まれた以前の様式から、レンプラントの素描に影響されたことを示している、といえるだろう。このような分析を踏まえた上で、改めてミュンヘン素描に立ち返ると、この作品の描写の特性が理解しうるだろう。この紙葉は、ドレスデン素描と比較すると、人物像の描写にやや脆弱な点が見られるが、強いハッチングと描線の性質は、リーフェンスが流麗な描線を用いている1627/28年頃の〈ゲッセマネのキリスト〉の描法とは符合しない。それは、陰影の階調を重ねることによって人物像の三次元性を強調するレンプラントの描法とは本質的に異なるもので、これはドレスデン素描に見られるスケッチ的な描法と対照をなしている。このため、ミュンヘン素描は、リーフェンスに帰されるのではなく、レンプラントによる作品とされるものと考えられる。ミュンヘン素描の脆弱さに対しては、制作者の差異よりも、一人の画家の筆致の許容範囲とされるべき、と筆者は考察する。342
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