鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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カロリング朝とサントゥリャーノアルフォンソ二世はサントゥリャーノにおいて人物像を置かない姿勢を徹底した。ここで関連づけられるべき人物としては、アルフォンソ二世の同時代人であるシャルルマーニュである。彼は聖画像崇拝への基本的態度を明らかにすべく『カロリング文書』(790-792年ごろ)を成立させた(注31)。この文書は、おそらくイベリア半島出身のオルレアンのテオドゥルフに集成させたものとされる(注32)。カロリング朝におけるサントゥリャーノとの様式的な類似性が端的に現れた例として、トロンプ・ルイユ的に使用される建築モチーフが壁面にあるサン・ジェルマン・ド・ヴェール聖堂の壁画があげられる(注33)。また、サントゥリャーノの建築表現と最も類似するカロリング朝の作例としては、サン・メダール・ド・ソワッソン福音書写本fol.1 v ( 9世紀初頭)〔図10〕(注34)があげられる。24人の長老と仔羊及び四福音書記者の象徴の下にあらわされている古代的な建築の表現は、サントゥリャーノの翼廊及び身廊部の上層にあらわされた建物に類似する。しかし、このソワッソン福音書写本がサントゥリャーノと明確に異なる点は、聖人及び天使像があらわされているところにある。とりわけサントゥリャーノと異なる端的な例として、カロリング文書に関わったテオドゥルフのサン・ジェルミニー・デ・プレ礼拝堂のアプシスのモザイク(799-806年)〔図11〕があげられる。ここには、上空からさしだされる神の手やモーセの十戒(偶像崇拝への戒めが含まれている)をおさめる「契約の橿」(『出エジプト記』第25章10-22)と共にケルピムや天使が描かれているのである(注35)。このように、聖人像に関するカロリング朝の態度は、サントゥリャーノのそれとは異なっていることがわかる。アルフォンソ二世時代における人物像の不在アルフォンソ二世の治世下には、人をかたどった表現は見られない。アルフォンソ二世は、西ゴート公会議中にあらわれる偶像崇拝の忌避というテーゼを徹底し、さらに西ゴートに頻出する十字架表現をサントゥリャーノの中心に据えた。彼は、一度はイスラム教徒によって断絶した西ゴート王国の伝統を受け継いだ。しかし、単にそのまま継承したのではなかった。西ゴートにはない壁画の使用は、サントゥリャーノにおいてより細かな表現を可能にした。一方ではカロリング朝に見られるような古代的な建築モチーフを受容し、それらをちりばめた壁画の中心に西ゴート伝来の十字架を354

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