インデクスヴォイドオブジェインデクスオブジェかりとして、造形性を極小化した作品をとりあげてみることにする。美的な対象性を最少の要素に還元するミニマリズムや、対象性を放棄して構想、に価値をおく概念芸術など、1960年代から70年代にかけての新しい潮流に影響を受けた作家たちの作品である。彼らは、過去に関する記録の調査を行い、数量や場所や名前といったデータを集め、さまざまな空間のレトリックを駆使して個々の指標を提示していく点で共通している。そうした指標のなかで、本報告ではとくに人名および場所の名前という「固有名jに注目して、2点のイ乍例を1食言すしたい。ひとつめは、クリスチャン・ボルタンスキーの〈ザ・ミッシング・ハウスTheMiss-ing House}〔図5〕である。これは、ベルリンの壁が崩壊した直後の1990年に、この都市をテーマにした市主催の展覧会のために制作されたもので、街の中心部、旧東独側に残されていた空き地に着目したサイトスペシフイックな作品である(注5)。この地域はかつてのユダヤ入居住区で、ナチ時代の1942年には徹底した強制収容が行なわれた。問題の空き地は、その後、第二次大戦末期に連合軍の空爆により家屋が破壊されてできた。現在、棟続きだ、った左右両翼の部分は再建されて人が住んでおり、両棟の防火壁にあたる部分が外壁として、中央の空き地を挟むように立っている。ボルタンスキーは、この破壊された棟に住んで、いた最後の居住者たちを、当時の住所録や財産登記簿、強制収容所へのユダヤ人搬送記録名簿などによってっきとめた。そして、彼らの氏名、職業、居住期間を20枚あまりの白いプレートに記し、両側の防火壁に貼りつけている〔図6〕。プレートには、「J.シュナップ公務員」「R.ヤロゼフスキートラック運転手」などとあり、あきらかなユダヤ系の姓が見える。ボルタンスキーはこのようにして、ユダヤ人の不在を、ものを作ったり建てたりして新たに造形するのではなく、空き地という都市の空虚に指標をつけることによって、空間のメタファーを借りて表現したのである(注6)。二つめに挙げるのは、同じように屋外の作品で、造形性はもとより視覚性そのものをさらに徹底して排除してしまった、ヨッヘン・ゲルツの{2146個の石一一ザールブリュッケン反人種差別警告碑2146Steine -Mahnmal gegen Rassismus Saar-briicken} (1990-93)〔図7〕である。これは、フランス国境沿いのザールブリュッケン市で、かつて城館だった建物前の広場に制作されたものである。ゲルツが当地の造形大学の学生たちと制作した作品は、この広場の敷石を掘り返し、一つひとつの石に、ナチ時代に破壊されたユダヤ人墓地のあった土地の名前、およびそれが調査で判明した年月日を刻みつけるというものだった(注7)。文字を刻んだ石は、それぞれ写真に撮ってから、また元どおり広場に戻し、刻印のある面を下向きにして敷きつめた〔図-373-
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