碑を多く制作している。彼は、伝統的な記念碑がおぴる「H・H・を想起せよjと台座の上から命令する語法(ナラティヴ)に批判的であり、自分の作品を「対抗モニユメントGegen -DenkmaUと呼んでいる(注9)。そこではしばしば公衆の意見表明が作品の中核をなし、造形性はあまり重きをなしていない。つまり、歴史的過去についての指示や情報を、ある自己完結した形態や空間構成のなかで提示することが放棄されているのである。これは、目に見える「像Jのみがアートとして鑑賞され、真撃な想起や追体験がなされぬという一般的な記念碑への批判をふまえているからである。そこで、最後に同じくゲルツの作品で、造形としての像を自己否定するプロセスそのものを作品化しながら、同時に現実参照性を過去から現代のそれに移行させた例をとりあげたい。これは、ゲルツが彫刻家の妻エスター・シャレフ=ゲルツと共同で、ハンブルク市ハールブルク地区の繁華街に制作した〈ハールブルク反ファシズム警告碑Harburger Mahnmal gegen Fashismus} (1986-1993)〔図9〕である。まずはじめに高さ12メートル、亜鉛でコーテイングしである柱の表面に通行人や来訪者が鉄筆で署名やメッセージを書き込んでいき、一定幅の面が書き込みでいっぱいになると、柱を地中に埋めていくというものである〔図10〕。1986年に除幕されてのち、8回にわたって埋め込み工事が行なわれ、1993年11月に完全に地中に沈んだ〔図11〕。現在は、柱の天井部分である1メートル四方の金寓板が地表に見え〔図12〕、警告碑の趣旨と埋め込みのプロセスを写真入りで示した金属板が傍らに設置されている。また、背後の地下道脇にあけられたガラス窓から地中部分をわずかに覗くことができる。この記念碑は、ナチズム/ホロコーストの過去を教訓として、ファシズムや戦争や暴力に反対し、平和と人権を擁護することを誼っている点で、過去が参照されていることはまちがいないが、もはやそれ自体が過去についての情報や想起の内容を示すことはない。最初に建てられた金属の柱は、訪れた人が書き込みをするための基体にすぎないのである。この記念碑が指示している現実とは、過去の記憶に対する現代の人びとの反応であり、さまざまな落書きも含めてそこに刻まれたメッセージこそが指示対象であり、現在についての情報にほかならない。金属柱の表面に現在のドイツ社会の政治的センシピリティを敏感に記録する、いわば地震計として構想されている。そして、そこに署名された文字さえ「像」として存続することを許されずに地中に消滅するのである。これは、過去についての言及もその表現媒体の可視的造形も否定した、ひとつの極幅1メートル四方の金属の柱が建てられ、傍らに署名を呼びかける掲示板が置かれる。-375-
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