⑧ 『ヒンズー教と仏教の説話』の挿絵をめぐって一一ベンガル派による腰鵬体受容のー側面一一研究者:財団法人横山大観記念館学芸員佐藤志乃はじめにインド近代絵画の創始者とされるオボニンドロナト・タゴールは、1903年、岡倉天心の勧めでインドに渡った横山大観・菱田春草と親交を結んだ。これを機にオボニンドロナトが大観と春草の表現に触れ、ウォッシュ・テクニックと呼ばれる水彩画の技法を考案したことは、彼自身の回想文が示すところである(注l)。彼の制作現場を見学したことのある日本画家桐谷洗鱗は、この技法について「一旦総体に色を塗って、その色の乾くのを待って水盤へ浸す」という手順を繰り返す方法であった(注2)と証言している。大観らと交流した直後のオボニンドロナトの作品を見ると、この技法が、大観らの臆臨体と呼ばれる表現に類似した表現をもたらしたことがわかる。また、筆者がこれまで考察してきたように、オボニンドロナトは、このウォッシユ・テクニツクを一時的な試みで終わらせることなく、この技法を用いて新しい表現を展開させていったのであり、彼によるインド絵画の近代化は、日本画の要素を受け入れたことをきっかけに重要な転機を迎えたといえる(注3)。1900年代初頭より活躍したオボニンドロナトと1900年代後半より画壇に現れた彼の弟子たちは、インドの国民的な絵画を確立したグループ「ベンガル派」(注4)として知られ、インドの近代美術史上重要な位置に置かれている。本研究は、オボニンドロナトが臆臨体を導入した後のインド近代美術へと研究対象を広げ、インド絵画近代化と日本美術の関わりについて考察しようとするものである。本稿は、その手がかりとして、オボニンドロナトの追随者であり、彼と同じくベンガル派と呼ばれた画家たちによるウォッシュ・テクニック展開の一側面を検討し、彼らによる膝臨体受容の実際を明らかとする。具体的には、挿絵本『ヒンズー教と仏教の説話』(Mythsof the Hin-あげる。1.『ヒンズー教と仏教の説話』の挿絵シスター・ニヴエディタ(注5)とA.K.クーマラスワミ(注6)の共著『ヒンズー教と仏教の説話Jは、1913年、ロンドンで出版された。ニヴエディタが原稿を未完成のまま1911年に残したため、彼女が書き残した原稿(全体のおよそ3分の2にあたる)dus & Buddhists)に見られるベンガル派の作品と、これが出版された背景について取り-379
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