鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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の角平説文では、「ウォッシュ」という言葉が二通りの方法を意味している。一つは、洗鱗が述べるように、彩色した画紙を水に浸す方法である。もう一つは、水を多く含んだ、j炎い水彩絵具を用いてぼかしていく方法である。上記の諸作品の表現には、画家各々の特徴が現れているが、ウォッシュ・テクニックの応用という点からこれらの作品を検討すると、表現は二つの傾向に分かれるようである。一つは、オボニンドロナトの「仏陀の勝利」と〔図2〕、ノンドラルの〔図3〕と〔図4〕等に見られる、ぼんやりした空間に人物が浮かび上がる画面構成である。人ヰ却の周囲には具体的な事物がほとんど描かれていないため、奥行きのない暖昧な空間となっている。人物描写も細かい部分に及ぶことはなく、線描は、人物の姿をかたどる大まかな輪郭線に限られている。衣装の模様や襲を示す線描もほとんどない。人物の周囲は、むらのあるほかしで取り固まれており、特に〔図2〕、〔図3〕は、人物描写の上にまでぼかしがかけられている。ノンドラルは「湿った紙にやわらかく平らな筆によって施されるウォッシュは、霧、雲、雨の表現に美しい効果を発揮する。」(注10) と述べており、この文章の通り、〔図2〕、〔図3〕では、人物が、霧の中にかすむように表現されている。また〔図4〕では、人物周囲に使われているウォッシュ・テクニックのむらの具合や色合いが、衣服や人体の描写にも使われているため、人物は周囲の雰囲気に溶け込むようである。大観が膿臨体について「空気とか、光線とかの表現に、空刷毛を使用して一つの味わいを出すことに成功した」(注11)と述べているように、大観や春草は、乾いた刷毛で画面をぼかす方法によって霧などの大気を表現した。これと同様に、ベンガル派の画家もまた、ウォッシュ・テクニックを「霧、雲、雨」という自然現象の表現に利用したことが分かる。もう一つの傾向は、画面の下地として、ウォッシュ・テクニックにより一定の濃さで彩色をし、その上に、人物や状況説明としての事物を詳細に描く方法である。中でも、オシット・クマルの〔図8〕やノンドラルの「キラータールジュニーヤjは、遠近感のない構図を示し、均一に彩色した色面を幾何学的に組み合わせた点が特徴的である。平面の上に比較的小さく人物を配置するこの方法は、インドのムガール絵画やラージプト絵画の画面構成を連想させる。一方、オボ、ニンドロナトの〔図2〕、シュレンドロナトの〔図5〕、キテインドロナトの〔図6〕、〔図7〕は、人物などの対象物を間近に大きく捉えている。先の2点の作品と同様、ウォッシユ・テクニックで彩色された下地の上に、シンプルな輪郭線で人物や木々の形を捉えている。特に〔図6〕では、対象物の表現が平板で、人物の身体の量感や木々の葉の重なり具合が表現されていない。ノンドラルが「ウオツシュの目的は、背景の空に色彩をおき、合間の空間に-381-

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