鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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色彩をおき、すでにおかれた色彩をやわらげ、朝や夕、夜の大気の独特の雰囲気を表現することである。」(注12)と述べるように、何度も塗り重ねられた淡い色彩の層は、人物背景の自然を幻想的に表現する役割を果たしたようである。また、〔図4〕、〔図5〕などのように、人物の顔に迫り、その表情を豊かに表現した例もある。これらの作例では、アジャンタ壁画の人物描写からの影響が顕著で、ある。特に〔図5〕は、装飾的な細部描写を示しており、その衣装や装飾品の描写に見られる精密な輪郭線もまた、アジャンタ壁画の表現に通じるものである。ノンドラルは、1910年から翌年にかけて、インド東洋美術協会のスポンサーにより、アジャンタ壁画の模写事業に派遣されている(注13)。彼は、この協会の幹事を務めるオボニンドロナトや、ニヴエディ夕、クーマラスワミらの尽力により、ロンドンのインド協会とクリステイアナ・ヘリンガムが開始したこの事業に参加できたのである(注14)。ノンドラルの〔図4〕や「魔術小屋Jにこの体験の成果が現れているだけでなく、シュレンドロナトの〔図5〕にもまた、ウォッシュ・テクニックによる色の調子を活かしつつ、そこにアジャンタ壁画の表現を組合せる意図が見受けられる。これは、ノンドラルが模写の形でカルカッタにもたらしたアジャンタ壁画の表現が、ベンガル派の他の画家にも派生したことを示している。仏教説話を描いたアジヤンタ壁画は、同じく宗教の説話を描く彼らにとって、格好の参考材料となったに違いない。さて、ベンガル派の作品と「挿絵」の結びつきに着目するならば、その端緒を、オボニンドロナトの「クリシュナ・リーラー・シリーズ」(1896年頃)と呼ばれる連作に求めることができる(注15)。筆者が確認した合計19点の作品には、伝統的な細密画から借用したと思われるクリシュナ神話の場面が描かれている。サイズは全て、縦25センチ横15センチ程度である。これらの中には、画面を上下二段に分け、上の段に絵画、そして下の段にベルシャ文字の字体を真似たベンガル語で物語を記す、という挿絵本の形式をとるものもある。この連作は、それまで西洋画の技法を学んでいたオボニンドロナトが、初めてインドの伝統美術である細密画への関心を示した作品であった。また、インドの古典的な物語を取りあげてインドらしさを強調しようとする姿勢が窺われるこの連作は、国民的な絵画を創造する運動の出発点だ、ったといえる(注16)。このように、伝統的な細密画への回帰から始まったオボニンドロナトの絵画運動は、その後、更に挿絵ふうの表現を推し進めていった。オボニンドロナトをインド絵画復興の試みへと導いたイギリス人E.B.ハヴェルは、彼の作品を紹介する記事のなかで、インド古来の説話を扱う挿絵的な傾向について触れている(注17)。ハヴェルは、エドウイン・アーノルドの『アジアの光』(TheLight of Asia)を参照した「仏陀とスジャー382

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