鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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po oo たことを示している。まとめニヴエディタが「国家と市民の理想、あらゆる自由のかたち、共通の奉仕や援助への積極的な協力、これらが現実に新しい時代の目標となる時、それを考えるうえで掲げるべき明確なシンボルが必要となってくる。インド美術は、このシンボルの創造と確立に従事するだろう。」(注30)と述べるように、ベンガル派による新しい絵画には、国民の意識を一つにまとめる役割が期待されていた。インドの独立を求める時代の思潮を受けて、ベンガル派の作品は、本稿で取りあげた挿絵に見られるように、インド特有の題材を取り上げる傾向にあった。そして、新しい国民絵画と認められたベンガル派の作品は、できる限り広い地域に普及してこそ、インド全体の意識を独立運動へと結集させる目的に貢献できたのである。新しく書き換えられたインドの説話とベンガル派による挿絵を組み合わせての出版事業は、インドの各都市に散らばっている文化人や知識人たちが思想面で歩み寄り、インドという共通の基盤に立つという状況をつくりあげていった。これがインド東洋美術協会の一方的な要求ではなく、画家自身の意思でもあったことは、出版された挿絵以外の彼らの作品が、やはりインド固有の神話などを扱った挿絵ふうの表現を示していることからも明らかである。こうした題材を表現するにあたって、ベンガル派の画家は、トレードマークのようにウォッシユ・テクニックという新しい技法を繰り返し用いた。例えば、当時、新たに価値が認められたインドの古代美術であるアジャンタ壁画の表現を、ウォッシュ・テクニックと結びつける試みが確認された。本稿で確認したベンガル派の作品には、この技法をインド独自の表現として発展させようとする意図が窺われるのである。そして、ナショナリズムの運動が高まる時勢にあっても、ウォッシユ・テクニックはあくまで継続され、ベンガル派の表現の基調を成していった。西洋画の模倣でもなく伝統美術の踏襲でもない、新しい表現の象徴ともいえるウォッシュ・テクニックが、そもそも臆瀧体をヒントに始まった技法であったことを考えると、大観・春草の渡印がインド絵画の近代化にいかに重要な役割を果たしたのかが分かる。ベンガル派によるウォッシュ・テクニックは、近代のインド絵画において日本美術の導入が大きく関わったことを示す重要な事例といえるだろう。

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