確認した結果、〔表3〕にあげたように、約80件の作例を調査する機会を得た。婚礼調度が揃って伝存することは稀であり、必然的に江戸時代中・後期から明治にかけての資料が今回の対象となった。調査資料一覧を嫁ぎ先の家格別に分類すると、本家から他の大名家へ輿入した際の婚礼調度としては伊達家・細川家・前田家伝来のもの、また家臣へ輿入した際の婚礼調度、或いは所用者不明の婚礼調度としては武雄鍋島家・鹿島鍋島家・諌早家伝来のものとなる。所蔵先別の調査概要葉紋付婚礼調度本家から宇和島伊達家へ嫁いだ姫君は5代宗茂女護姫(寛延3年(1750)5代伊達村侯に嫁)、8代治茂女観姫(文化12年(1815)7代伊達宗紀に嫁)、9代斉直女猶姫(天保11年(1840)8代伊達宗城に嫁)の3人で、このいずれかの姫君所用の杏葉紋付蒔絵調度、23件が伝来している。箱書や文献資料からは3人の所用者を特定することはできなかった(注4)。全体の傾向として、地塗は梨子地のものはなくすべて黒塗、家紋は筋杏葉紋もあるが花杏葉紋を用いる作例のほうが多い。仕様については、土壌に竹や牡丹、あるいは松に橘などを高蒔絵で表し、花杏葉紋を散らしたものの他、唐草に花杏葉紋を散らしたものや花杏葉紋のみを散らしたものなどで、統一された意匠はない。本家から細川家へ嫁いだのは、10代直正女宏姫(慶長3年(1867)14代細川護久に嫁)であり、宏姫所用の杏葉紋付婚礼調度、24件が伝来している(注5)。箱書の「寿」とは宏姫のお印(注6)であり、また大破した三味線の胴内には「東都西久保/石村近江藤原直正J「慶麿三卯年十二月/大安日作之jという墨書銘があることから、所用者、制作年、製作地が分かる基準作といえる。地塗はすべて黒塗、家紋はすべて筋杏葉を用いている。杏葉紋を散らし金銀の平蒔絵で梅唐草を描いた仕様と杏葉紋を散らすのみの仕様の二通りで、幕末の特徴をよく表している。本家から前田家へ嫁いだのは、11代直大女朗子(明治14年(1884)15代前田利嗣に嫁)であり、朗子所用の杏葉紋付婚礼調度、20件(うち調査済み9件)が伝来している。外箱には「牡丹印」という箱書や牡丹の絵が描かれ、朗子所用であることを示して( 1) 財団法人宇和島伊達文化保存会(愛媛県宇和島市)所蔵宇和島藩伊達家伝来杏(2) 財団法人永青文庫(東京都)所蔵熊本藩細川家伝来杏葉紋付婚礼調度(3) 財団法人成巽閤(石川県金沢市)所蔵旧加賀藩前田家伝来杏葉紋付婚礼調度-393-
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