鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(4)武雄市図書館・歴史資料館(佐賀県武雄市)所蔵武雄鍋島家伝来杏葉紋付婚礼(5)慶巌寺、性空寺、諌早市郷土館(長崎県諌早市)所蔵諌早家伝来杏葉紋付婚礼(6)佐賀県立博物館(佐賀県佐賀市)所蔵鹿島鍋島家伝来婚礼調度いる。家紋はすべて筋杏葉紋を用いており、梨子地に杏葉紋を散らし、松竹梅に鶴亀を薄肉高蒔絵であらわした仕様と黒塗に金・銀・青金で描き分けた大中小の杏葉紋を散らした仕様と黒塗に杏葉紋散を金平蒔絵であらわした仕様の三種類が見られる。今回調査した作例の中では最も技術が高く豪華な仕様で、これは嫁ぎ先である旧加賀藩前田家が100万石以上の大大名であったためかと考えられる。近代に入っても江戸時代からの婚礼調度のあり方が踏襲され、しかも格式の高い調度が整えられた作例といえるのではないだろうか。調度本家から親類同格である武雄鍋島家へ嫁いだのは、2代光茂女藤姫(5代鍋島茂正に嫁)と9代斉直女寵姫(文政10年(1827)10代鍋島茂義に嫁)の2人であるが、作風から寵姫所用の可能性が高く、また武雄鍋島家と縁戚関係にある家臣の姫君の調度という可能性も考えられる(注7)。全17件中14件に箱がなく、所用者を特定することは不可能で、あった。地塗は梨子地のものはなくすべて黒塗。変わり花杏葉紋付の調度が5件あるが、見慣れない家紋であり所用者は不明である。他には花杏葉紋に松竹梅を金銀の平蒔絵であらわした仕様や唐草蒔絵に花杏葉紋を散らした仕様、杏葉紋のみの仕様などで、いずれも江戸時代後期の特徴を示している。調度調査した9件は、いずれも箱がなく、伝来も所用者も不明の資料であった。本家から親類同格である諌早家へ嫁いだのは、初代勝茂女亀姫(3代諌早茂敬に嫁)、2代光茂女糸姫(貞享元年(1684)6代諌早茂照に嫁)、8代治茂女哲姫(寛政7年(1795)諌早敬輝(有病不継)に嫁)、9代斉直女民姫(弘化2年(1845)13代諌早茂喬に嫁)、10代直正女宏姫(安政6年(1859)15代諌早武春に嫁するも離縁)の5人であるが、蒔絵の仕様から江戸時代前・中期とは考えにくく、本家からの調度の所用者としては哲姫・民姫・宏姫の可能性が考えられる。また諌早家は支藩である小城・鹿島・蓮池鍋島家とも多く婚姻関係があり、分家からの婚礼調度の可能性も考えられる。慶巌寺蔵の資料は梨子地の手箱のほかはすべて黒塗で、筋杏葉紋のみを散らした仕様や花杏葉紋散に唐草蒔絵の仕様など。諌早市郷土館には花杏葉紋散唐草蒔絵の女乗物が展示されている(注8)。

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