鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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3-2、替紋の例る。また、慶巌寺蔵の厨子棚は筋杏葉紋を散らした本体の側面に、花杏葉紋の透かしをほどこしており〔図4〕、また寵姫所用と推測される武雄市蔵の一対の杏葉紋散銚子は、他方に筋杏葉紋、もう一方に花杏葉紋を配している〔図5〕。この二例から、筋杏葉紋と花杏葉紋を同時に用いることもあったことが分かる。次に変わり花杏葉紋の作例を見ていく。いずれも蕊を持つ花杏葉紋で、伝来は不明であり、類例も少ないという特徴を持つ。一つ日は宇和島の文箱に散らされた紋〔図6〕。専や各弁に輪郭線を入れ、上端には三本の突起をあらわす。この家紋の類例としては、鍋島家の菩提寺である高伝寺所蔵の長持に付された家紋がある。二つ目は諌早市郷土館の長持の紋〔図7〕。丸紋とし、専と各弁に深い切れ込みを入れ輪郭線を描き、椿の蕊状のものをあらわす。この家紋は植物的な印象を受けるが、似たような蕊の表現を持つものに当会所蔵の手拭掛がある〔図8〕。三つ目は武雄鍋島家伝来の調度類の紋〔図9〕。杏葉紋としてはかなり変則的であり、専には輪郭線を入れ各弁は三山をあらわし、筋状の突起を中心部から伸ばす。四つ目は同じく武雄鍋島家伝来の源氏物語入箱に散らされた紋〔図10〕。各弁には幾重にも輪郭線を描き、上端の突起を長く伸ばす。これらの類例は現時点では発見できていない。また、上記の他に当会所蔵の資料の内、琵琶箱の紐金具に表された家紋〔図11〕と筒守に表された家紋〔図12〕も変わり花杏葉紋の一種といえる。これらは初発的かっ植物的な印象を受け、管見の限り類例はない。続いて替紋の可能性について考察する。『寛政重修諸家譜』第十三の巻第八百二十三には、本家の紋は若荷の丸、すなわち杏葉紋のほかに五七の桐紋と記述されているが、鍋島家の替紋に関する認識は低く、当会所蔵の資料の中にも替紋らしい扱いをなされた紋を見ることはなかった。しかし今回の調査の結果、当会所蔵の資料を始め、杏葉紋と桐紋の両者を用いた作例を4点見出すことが出来た。当会所蔵の資料として五七の桐紋と変わり花杏葉紋〔図12〕とを両端に配した筒守と、金具に五三の桐紋を線刻し変わり花杏葉紋〔図8〕をはじめ松や向かい鶴といった丸紋を各所に配した手拭掛、そして絵梨子地と金平蒔絵で五七の桐紋と変わり花杏葉紋〔図13〕の両紋を配した諌早市郷土館所蔵の長持の3点。これらはいずれも伝来・所用者共に不明で、花杏葉紋も定型化しておらず、初発的な印象を受ける資料である。また、所用者が分かる資料として宇和島伊達家に嫁いだ観姫所用女乗物の日覆の古写真〔図14〕がある。牡丹唐-396-

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