鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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草の蒔絵に杏葉紋を散らした女乗物の日覆には、花杏葉紋と五七の桐紋の両紋が付されている。作例こそ4点と少ないものの、五七の桐紋が鍋島家の替紋である可能性は考えられるのではないだろうか。いずれにせよ、今後のさらなる新資料の発掘が必要とされる。家紋に関する考察として、最後に実作品に見る家紋の描直し、御道具の塗直しの例と橘の樹木を金銀の高蒔絵であらわし、花杏葉紋を各所に散らす。この家紋の部分〔図15〕をよく見ると、その下には「丸に橘紋」らしきものが描かれているのが分かる(注伊家から薙姫を継室として迎えているため、薙姫の婚礼調度の使い回しの可能性が考えられるが、これは想像の域をでない。次は鹿島鍋島家伝来、文化13年(1816)に小城鍋島家から鹿島鍋島家7代直葬に嫁いだ篤姫所用の湯桶・盟である。本資料は総体黒塗、見込みは叢梨子地で水流に土壌、松竹梅を梨子地・付描・蒔き量かしの技法で表し、くどさのない絵画的な表現は婚姻年より遡る江戸時代中期の特徴を示している。花杏葉紋が散らされた箇所〔図16〕をよく見ると描き替えられており、これもまた転用された作品と考えられる(注11)。続いて当会所蔵の梨子地鉄線唐草能面箱。総体梨子地で鉄線唐草文様を金の平蒔絵であらわしている。細部〔図17〕をよく見ると丸紋を各所に散らしであるのが分かる。前述の2つの資料は家紋の箇所のみを描き替えているが、本資料は丸紋散らしの箱全面を塗り直し、蒔絵をやり直していることが分かる。その他の例として、塗り直しではないが、宇和島伊達家伝来の茶箪笥をあげる。総体黒塗、土壌に竹、牡丹、街をあらわし、各所に花杏葉紋を散らしているが、注目すべきは唯一竹と家紋が重なる部分〔図18〕であり、家紋上下の竹節の金粉の色が他の節の部分と異なっているのが分かる。この家紋描き込みの不自然さは何を意味するのであろうか。製作当初は考えていなかった予定外の家紋の付けたし、ということなのであろうか。以上、家紋の描き直しゃ、蒔絵のやり直しの例を実作品から見てきた。江戸時代中・後期以降の調度の使い回しゃ転用については、先達により言及されていることであるが(注12)、それを実作品から証明できる貴重な作例と言えるのではないだろうか。3 3、紋塗り直し、使い回しの例を3点あげる。まずは宇和島伊達家の電箱。総体黒塗で、幾重にもかさなる土壌に松10)。橘紋といえば井伊家の家紋であり、鍋島家では8代治茂が安永7年(1778)に井-397-

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