鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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4、婚姻関係史料における記述当会所蔵、佐賀県立図書館寄託の鍋島文庫には、婚姻関係史料が約39冊のこされている。記述内容を大別すると「婚礼記録Jと「御日喜越記録Jの二種類となる。前者は婚礼という儀式の式次第で、後者は整える調度類とその額を具体的に列記したものであるため、婚礼調度についての具体的な内容を知るのは「御日喜越記録」が適当かと考えられる。現存するのは主に5代宗茂以降の史料で、8代治茂と9代斉直の子女の記録類が中心となっている。それ以前の史料はないため、江戸時代前・中期のあり方を記録から知るのは難しく、未見の史料も多くあるため、記録類に関する考察は一部の場合に限られる(注13)。しかし、「御日喜越記録」には、衣装類や諸道具類の発注先を示す記述があり、しかもそれらは新しく整えたものだけでなく、さまざまな修理を施したものや親や親戚から譲られたものも持参していることが分かるなど、当時の婚礼調度の製作事情を知る上で示唆に富む内容であった。以下、婚姻関係史料から「修理」「製作地」「調度の仕様」の三つの問題について考察する。4-1、修理の記述婚姻関係史料では、いずれの記録にも‘諸修理新出来’という項目があり、諸修理をほどこした調度類が列記されている。その一例を挙げると‘損所修理繕塗’の茶箪笥、‘金御紋弐ッ書繕生塗’にした長持、‘惣様真黒にして塗直金一通磨直’の挟箱、‘塗直金御紋’の飲食具など、記述内容は具体的である。持参する調度の中でも、修理を施したものの割合はかなり大きく、中にはほとんどの調度を新調せずに整えている例もある(注14)。なお、家紋の塗り直しについて、古いところでは慶安2年(1649)に行われた2代光茂の祝言に関する初代勝茂の書状があげられる(注15)。ここでは光茂と上杉定勝女虎との祝言については‘寓手軽’くするよう述べた上で、御虎持参の道具で済ませたいが、手水盟・手拭掛はないので鍋島家で間に合わせるにあたり、葵の紋を付けるべきなので、‘紋計仕直シ’すべき旨を述べている。4 2、製作地の問題そもそも大名家の婚礼は江戸藩邸間で行われるため、婚礼調度も江戸で作られたと見るのが一般的だといわれる(注16)。しかし報告者は、家中内での婚姻の割合が高い鍋島家では婚礼調度をどこに発注したのか、という問題意識を持っていた。8代治茂

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