鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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女悌姫が天明5年(1785)鹿島鍋島家6代直宣との婚姻のために鹿島へ引越すにあたっての御日喜越記録を例にとると、発注先を示唆する記述として、置土産は京都で仕入れ、衣装類は上方で、御道具は江戸上方で、其外道具は地方で、そして修理・新出来の道具類は大阪で整えていることが分かる。今回目を通した婚姻関係記録は家中内の婚姻の場合が多かったが、その内容からは、大名家同士の江戸藩邸内での婚姻とは違い、国元すなわち佐賀での婚姻の場合でも婚礼調度は国元で整えるのではなく江戸や上方に注文していることが分かつた。4-3、調度の仕様次に調度の仕様について。いずれの場合も黒塗に杏葉紋付(唐草)蒔絵のものが大半であった。また、伊達宗紀に嫁いだ観姫の御日喜越記録によると、伊達家の家紋である竹雀紋の懸盤一式を揃えており、相手方の家紋を付けた調度も持参したことが分かる。記録類が比較的多く遺る8代治茂の時代、藩財政はますます厳しく、藩内においても倹約令が出され(注17)、治茂自身の婚姻においても万事省略すべきとの記述がある(注18)。このような背景を反映してか、子女の婚姻においても整える調度の仕様は数種類の格式の道具を取り揃えるのではなく、いずれの場合も「黒塗金御紋唐草蒔絵」といった格の低い仕様のものが中心となっている。ただし、今回目を通した記録類からは‘他の大名家に嫁ぐ場合’‘公家に嫁ぐ場合’‘家中内に嫁ぐ場合’という、嫁ぎ先によって取り揃える道具の格式の違いまでは考察できなかった。5、まとめ、今後の課題鍋島家から他家へ嫁いだ際の婚礼調度のうち、家紋である杏葉紋の付いた蒔絵作品について、まずは鍋島家の婚姻の特徴を述べ、各所蔵先別に調査の概要を報告した上で、杏葉紋の形態の分類や家紋の用い分けについて検討した。また実作品と婚姻関係の記録類との双方から、修理をほどこした調度の作例や、時代的変遷や格式による調度の仕様の実態についての考察を行った。大名婚礼調度は、大名家の賛を凝らした華やかな嫁入り道具という印象があるが、幕藩体制が揺ぎ、藩の財政も逼迫した江戸時代中・後期以降、豪華なー揃えの調度を整える財政的余裕は失われていったことが、「塗り直し」「磨き直し」て歴代の御道具を転用するという記録類や現存する蒔絵作品から分かった。鍋島家では黒塗に御紋唐草といった簡易な仕様にし、修理済みの調度を多く持参してまでも相応の種類と数の399

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