鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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A斗晶つ。III プリニウスの語るエンカウスティック技法と、近年の科学分析の成果衣装と背景の顔料の一部が剥落し、下塗りのニカワと、支持体の木の色も見える。全体に、黒、白、イエローオークル、マダー(茜)、青、深緑の色彩が調和し、暖色と寒色の微妙な調和で量感が浮かび上がる。全体の表現効果は彫刻性にあるといえよこのようにたくみに三次元性を表現できるエンカウスティック技法は、古代文献上どのように記録され、何が解明されているのだろうか。以下に言及するプリニウス(と一部ウィトルウイウス)の記述は、エジプトのミイラ肖像画を直接とりあげたものではない。しかし古代絵画の文献資料として現在知られるほとんど唯一のものであり、この記述を検討することから始めたい。プリニウス文献の一部は別稿でとりあげた(拙論2003)。A.プリニウスの語るエンカウスティック技法エンカウステイツクの語は、ギリシア語で「焼入れ」を意味する語(“enkaustikos"を語源にもち、「焼入画」または「蝋画」とも呼ばれるO古代文献で、はプリニウスが以下の三カ所で技法について言及し(文献1.蝋画の起源;文献2.蝋画の三種類の方法;文献3.蝋の着色に用いる顔料)、そのほか「蜜蝋の産地と特徴」(別稿参照、拙論2003)、「仕上げのつやだし」(文献4)について記述する。〔文献l〕『博物誌』35巻122-123(122)蝋で絵を描き、焼付けでデザインする方法の発明者は誰であったかについては、説が一致していない。ある人々は、それはアリステイディス兄の発見であり、次いでプラクシテレスがそれを完成したと考えている。しかし焼付絵はもっと相当早い時代にすでに存在していた。たとえば、ポリュグノートス、ニカノル、そして、パロスのムナシラオスの絵がそうだ。また、アエギナのエラシップスは、絵にエネカエン(焼きいれ)と刻みこんだが、もしそれまでに焼付け絵の技術が発明されていたのでなければ、彼はそういうことをしなかったであろう。(123)またアペレスの師匠のパンフイロスは焼付け絵を描いただけでなく、それをシキュオンのパウシアスに教えたという記録があるが、このパウシアスはこういう手法で有名になった最初の人であった。

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