鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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〔文献2〕『博物誌』35巻149昔は焼付絵に二種類あった。蝋を用いるのと、象牙にケストルム〈彫刻万〉を用いて描くのである。しかし後には戦艦に装飾を施す習慣が始まった。このことが第三の方法を加えた。蝋が火で溶解したとき筆を用いる方法である。この船の塗装方法は太陽の作用によっても、塩によっても、あるいは風によっても損なわれない。〔文献3〕『博物誌』35巻49すべての絵の具のうちで、白亜土の乾いた表面を好み、ぬれた漆喰に塗られるのを拒むものは、深紫、藍(インデイゴ)、青、メリヌム、雄黄、アッピア緑、そして鉛白である。蝋はエンカウスティック技法で描くために、これらの絵の具で着色される。これは壁に応用できない方法であるが、海軍の艦船には普通に用いられる。そして今日では貨物船にも用いる。われわれは乗り物を絵で飾ったりさえするのだから。〔文献4〕『博物誌j33巻122鉛丹(ミニウム)を塗った表面は日光および月光の作用によって損なわれる。これを防ぐ方法はその壁を乾かし、それからそれにオリーブ油で溶かしたカルタゴ蝋(CeraPunica)をそれがまだ熱いうちに剛毛の刷毛で上塗りをすることである。それからその蝋の上塗りをさらに植物の没食子(異状生長部、いわゆるこぶ)でつくった木炭の火に近づけ、汗の滴りがそれから漆み出るまで熱し、その後で蜜蝋蝋燭で撫でて滑らかにし、次にリンネル布で大理石に艶を与えるのと同じ要領で磨かねばならない。プリニウスの記述において重要事項のみ列挙すると、〔文献1〕は以下の3点となる。l行目の下線部は、プリニウスの説明のあいまいな点が研究者により指摘されている(Reinach 1921)。熱した蝋と顔料を混ぜて描くことを意味するととるのが、もっとも妥当である(Laurie1910)。3行目の下線部プラクシテレスについての言及は、紀元前4世紀を代表する彫刻家プラクシテレスのことだろう。彼は当時、画家ニキアスと組んで、彫像に彩色を施して仕上げたことが知られている(『博物誌』35巻33)。9行目の下娘部パウシアスのくだりは、パウシアスが蝋画家として活躍し(おそらく板絵を描いた)、このころは絵筆を使う壁画家と、蝋画家が区別されていたことを示すと思われ

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