鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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(9) 「日悌交換展覧曾出品(二)『雨の蘇州.IJ『日出新聞J1922年1月22日夕刊第2面(10) 各種報道によると、無償寄贈に際し画家への叙勲などの条件を出すか(外務省情報部・松岡新一(11) 「栖鳳の「蘇州の雨J今日併国へ寄贈j朝刊第5面(12)例えば同じくターナーの〈雨、蒸気、速度〉にはテーマや構図、モティーフ、そして筆触など(13) 「名書『蘇州の雨』を前に詩人大使の感激」朝刊第9面(14) 1930年には、さらにもうl級上のオフイシエ・ド・ラ・レジオン・ドヌールを贈られている。(18) Paul Claud巴1,Journal I , Paris : Bibliothとquede la Pleiade, Gallimard, 1968, p. 656 (19) 9月8日〜11月19日、Is色陀県のMuseeRavi巴rde Morest巴lで開催された。(21) 中係忍氏のご示唆による。稲畑勝太郎は渡仏して染色の技術を学び現稲畑産業を創始した人物(22) Claudel, Journαl I, p. 656 (28) Claude], Journal I , p. 760 倒i度遅守章氏のご教示による。倒『橋Jはクローデル前掲書(注23)、174頁。ここでの「風景画」を日本の風景画と限定できるかどうかは微妙な問題であるが、内藤高氏の訳注では少なくとも東洋の風景画に関係しているこ郎)否か(在仏日本大使館)という交渉方針上の食い違いがあったらしい。〈雨の蘇州、|〉との類似点が多く散見される。同「清輝、栖鳳同輩伯の履歴書を作りク大使が近く本国に表彰の手績」朝刊第5面同「一月中頃大使と尊霊の御入洛有之候状美皐校の堀氏より惇承イ士候愈御入洛確実に相成候哉」同ちなみに『ゆか里』((注4)参照)贈呈式を兼ねたこの送別会に栖鳳は出席しなかったようだ0同「クローデルと日本」展の監修者である中候忍氏より資料提供を受けた。であるo邸)ポール・クローデル/内藤高訳『朝日の中の黒い鳥』講談社、1988年、157162頁凶実際には神戸には寄航しただけで、翌日横浜港より下船した。白。Claude],Journal I , p. 725 (26) Claude], Journal I , p. 743 間おそらく山種美術館所蔵の〈みみづく}(1933年)のような図様だったのではないか0とが示唆されている。またこれは無論セザンヌの有名な命題を想起させずにはおかない。事実、栖鳳の風景画とセザンヌのそれとの類似性を指摘する論者もいる。たとえば原田平作『日本の近代美術』(晃洋書房、1997年)、355頁以下を参照。-426-

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