(1) 制作年代と制作位置鉢を持つ形l例、その他の印相3例の計11例で約10%である。一方「釈迦j銘の触地印像は、「菩提像」銘を有し破損しつつも触地印の可能性のある像1例を含めても3例に過ぎず、「釈迦」銘全てを合計して20例という状況を考えるならば、尊名不明の触地印像539例の中にも、相当数の阿弥陀像が含まれている可能性が指摘できる。そこで触地印阿弥陀像の実態を明らかにするためには、「阿弥陀」銘の有無にかかわらず、全ての触地印像を対象として考察すべきと考える。3 唐代龍門石窟における触地印像の実態触地印「阿弥陀」像52例のうち年紀を有する像は22例ある。その上限は龍朔2年(662)銘老龍洞南壁第73号禽像、同下限は開元21年(733)銘第四50号禽像である〔地図参照〕。しかし、左手で触地印を結ぶ賓陽南洞南壁第76号寵扶坐像〔図1〕と、同洞東壁第60号禽貞観18年(644)「阿弥陀J銘像(注6)を比較すると、両者は左右の肩が張り抑揚なくずんぐりした体躯や、方座前方に大衣等の裾の襲が表現される点等共通しており、触地印像の上限は貞観18年頃までさかのぼる可能性がある。触地印像の下限は天宝10年(751)銘第1940号寵像が挙げられる。唐代龍門石窟の造像活動は貞観15年頃に賓陽南洞と老龍洞で本格的に開始され、天宝年間に東山でほぼ収束することから、触地印像の制作年代と制作位置はそれにおおよそ一致する。年紀を有する触地印像は680年代、690年代に際だ、って多く制作されたことがわかる〔グラフl〕。造像された位置は、まず西山ほぼ中央の双客、永隆元年(680)完成の万仏洞、そして清明寺洞のまわりに集中している。触地印像が大量に造像されたもう一つの区域は、西山中央南寄りの奉先寺洞周囲、具体的には第1193号寵付近以南から東山にかけてである。ところが、後者の区域の触地印像には年紀を有する像が少ない。そこで、この区域の多くの彫刻が共有する則天期(690-705)、開元、天宝年間の造像様式を基準として概観する事で、奉先寺洞付近以南において690年以降750年代までに造られた触地印「阿弥陀j像、無銘触地印像を論じたい。聖暦2年(699)銘像、開元3年(715)「弥陀」銘像、天宝10年(751)銘像〔図2、3、4〕を見ると3像ともやや両肩が張り、通肩式にまとう大衣が腰の絞られた体に密着して表現されている(注7)。胸部から腹部にかけて等間隔に刻まれた襲線がU字型に弧を描く点や、結助日扶坐する脚部の輪郭が衣を通して明らかな点も共通している。則天期の聖暦2年銘像には肉付けにふくらみと張りがあるが、開元、天宝期に入るとやや張りがなくなり肉が落ちたような表現になる。このような則天期から開元、-431
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