(2) 法量の推移(3)服制(注8)cmの第1058号寵垂扶元年(685)銘像l例しか認められない。しかし、有年紀触地印像42例という数は、触地印像総数591例の約7%に過ぎず、これでは唐代龍門石窟の触地約19cmと小さく、年紀を有する触地印像の法量の推移とほぼ同じ結果が得られた。像591例の約84%を占めるというのが実態である。式47例、破損、摩滅等の理由で服制不明81例である。天宝期までの彫刻が、奉先寺洞周囲から東山にかけて大量にみられる。その数は、双客、万仏洞、清明寺洞の触地印像をも加えると382例に及び、これは唐代龍門石窟全体の触地印像591例(「釈迦」「菩提像」「弥勅」銘計4例を除く)のうちの約65%に達する。また施無畏印阿弥陀像が、西山では薬方洞に彫られた小寵像を最南端例として、それより南側にはほとんど認められず、東山にもはっきりした例が見出せない点も付け加えておきたい。まず初めに、年紀を有する触地印「阿弥陀」像、触地印無銘像合計42例の像高の推移を観察した。すると、680年代に双客、万仏洞、清明寺洞周囲に多く造られた作例の像高は最大でも20cm前後である。一方700年代以降に像高50cm以上のやや大きめの触地印像が散見される。690年に始まる則天期より前には、比較的大きな像として像高78印像全体の法量の推移を明らかにできない。そこで触地印像が比較的集中する龍門石窟西山中央付近、双客、万仏洞、清明寺洞周囲、具体的には第506号寵から老龍洞にかけての、年紀を有する則天期以降の造像を除く触地印像88例の像高の平均値を求めた。するとこの付近の触地印像の像高は平均また、全触地印像591例を対象として、像高50cm以上のやや大きめの像を抽出したところ、93例約16%がこれに該当し、このうち約83%は奉先寺洞周囲から南、さらに東山にかけての則天期以降の造像と判明した。触地印像の中で最大のものは、則天期以降に造られた像高212cmの第1559号寵中尊像であり、この法量は唐代龍門石窟の中規模窟万仏洞中尊像の像高252cmに近い。また東山の二蓮華南洞中尊像は像高190cmである。しかし、像高49cm以下の小像が触地印大衣をまとう形式を見ると、触地印「阿弥陀」像では、通肩式40例、偏担右肩式8例、偏担右肩に覆肩衣を着ける形式3例、破損、摩滅等の理由で服制不明l例である。また無銘触地印像では、通肩式375例、偏担右肩式36例、偏祖右肩に覆肩衣を着ける形以上の数字から、触地印像の服制は、通肩式が全591例中約70%の415例を占める。さらに、通肩式と偏担右肩式という、いわばインド式に近い服制が、約78%の459例で-432-
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