鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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注(2)大島徹也「ジャクソン・ポロックの〈カット・アウト〉その年代確定と作者同定をめぐる一(3) Jeremy Lewison, Interpreting Pollock (London : Tate Gallery Publishing, 1999), 67. (4) Henri Matisse, Ecrits et propos sur !'art, ed. Dominique Fourcade (Paris: Hermann, 1972), 250. (5) Ibid.' 182. には、ポロックは絵画を一点も制作しなかった(注14)。それで、もおそらくポロックは、制作することへの意欲は尚も失わずにいた。同じ年ポロックは、彼の最後の数週間を一緒に過ごしたルース・クリグマンに次のように語っている一一「いいか、俺は画家なんだ。だから今すぐ制作にかからなきゃいけないんだ」(注15)。また、同様にポロックが最晩年にクリグマンに語った次のような象徴的な言葉がある一一「いいか、画家はたった三人しか存在しない。すなわちピカソ、マティス、そしてポロックだ」(注ポロックの〈カット・アウト〉およびカット・アウト・シリーズ全体の再解釈の大きな鍵が、本論文で論じられたこの芸術家のマテイスおよびピカソの(再)受容という点にある。そしてそのようなカット・アウト・シリーズの再解釈は、さらにはポロックの後期の芸術全体の再解釈にも少なからず関わってくる。たとえば、1953-56年頃に描かれた幾つかのドローイングにもマティスの切り紙絵の影響は見出される。JPCR〈海の動物たち…}(1950年)〔図18〕などの切り紙絵に見られるような帯状の形体が特徴的に描かれている(注17)。これまでポロックの後期の芸術に対するマテイスの影響の問題については、孤立した作例として1953年の〈イースターとトーテム〉が指摘されてきた程度であった(注18)。しかしながら、〈カット・アウト〉や上記の晩年のドローイングをも考慮に入れてその問題を考え直す時、これまで凋落期とみなされ軽視されてきたポロックの後期の芸術に対する新たな一つの見方が聞けてくるように思われる。[附記]本論文執筆に際しては、ニューヨーク市立大学ザ・グラデユエイト・センターのProf.Jack Flamより貴重なごn助言を賜った。1953年以降ポロックの仕事量は急激に低下してゆき、ついに最後の年である1956年16)。902〔図15〕やJPCR915〔図16〕では、マテイスの〈千夜一夜}(1950年)〔図17〕やdon: Yale University Press, 1999), 351. 考察J『芸術/批評JO号(2003年5月)、70-117頁。(1) T. J. Clark, Fam同llto an Idea : Episodes from a History of Maden山m(New Haven and Lon--35 -

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