⑪ 中国河北省南響堂山石窟における西方浄土変の研究研究者:日本学術振興会特別研究員(早稲田大学)阿弥陀の西方浄土の情景をあらわした西方浄土変のうち、唐以前に遡る初期作例については、いまだ不明な点が多い。中国・河北省に位置する南響堂山石窟には、第一窟と第二窟に北斉時代の西方浄土変浮彫がつくられており、第三窟のものは切り取られてアメリカ・フリア美術館に所蔵されている。これらは、西方浄土変の初期作例のなかでも、唐代に完成する西方浄土変の基本的構成要素を備えている点で特筆すべき存在である。また同石窟は北斉の都である鄭と地理的に近く、北斉仏教における浄土教美術を知る上でも、その存在意義は大きい。フリア美術館に所蔵される第二窟の西方浄土変については、中尊脇の二菩薩の宝冠に『観無量寿経』に説かれる観音・勢至の標峨があらわされていることから『観無量寿経』との関係が指摘される一方で、宝池の往生者の表現については『無量寿経』との関係を想定する見解が出されている。しかしながら、これら二作例の西方浄土変については、図像研究の基礎資料となるような写真や描き起こし図が不足していることもあって十分に研究がなされてきたとはいいがたい。そこで本研究では、まず南響堂山石窟とフリア美術館において実地調査を行ない、正確な描き起こし図を作成することを第一の課題とした。そのうえで図像と浄土経典とを比較・検討しつつ、所依経典や思想的背景について考察を行なった。一図様の概要まず、南響堂山石窟の第一窟と第二窟の浮彫西方浄土変について、図様の概略をみてゆきたい。第一窟南面して聞かれた中心柱窟の入口上部、上方左右に聞かれた明かり窓の間の広い区画に、仏菩薩と楼閣、宝池を浮彫であらわす。また、左右の明かり窓上部の横長の区画にも、建物らしき柱とその中に集う仏菩薩をあらわすため、画面全体は横長のT字状を呈する〔図l〕。まず中央の大きな区画からみていくと、画面は大きく上方の仏菩薩の世界と下方の宝池に分けられる。中央の阿弥陀仏は偏祖右肩に大衣をまとい、右手を胸前にあげ左手は腹前に置き、蓮華座に坐す。この中尊の坐勢は摩滅のため判然としないが、他の菩薩はみな通例の結蜘扶坐のようには両足を組まず、左右のどちらか一方を前にして坐しており、北斉時代の作例にみられる特徴を示す。阿弥陀仏の周囲には、やや小ぶ440 大西磨希子
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