まれていた入口上部には、幸いにも左右の明かり窓の上部(T字状区画の両翼にあたる部分)の浮彫が残されている。フリア美術館に所蔵される中央部分〔図2〕には、阿弥陀仏と菩薩、楼閣、宝池を浮彫であらわす。第一窟では仏菩薩や楼閣を配する部分と宝池とが上下に二段に分かれる構図になっていたのに対し、こちらでは宝池が画面下部の三つの台形区画に分けてあらわされている。中央の阿弥陀仏は頭光をいただき偏担右肩に大衣を着し、右手は胸前にあげ掌を正面に向けて説法印を結び、左手は腹前に置く。阿弥陀仏は左足を前にして蓮華座に坐す。阿弥陀仏の左右には、画面下部中央の宝池を囲むように菩薩坐像が各々四体配されるが、そのうち前方左右の菩薩二体は、他の菩薩が阿弥陀仏より小さくあらわされているのとは異なり、この二菩薩のみ阿弥陀仏と同じ大きさで、しかも頭光をいただく姿にあらわされる。また、左菩薩の宝冠には化仏が、右菩薩の宝冠には水瓶があらわされていることから、これらは『観無量寿経』によって観音と勢至の両菩薩をあらわしたものとする顔娼英氏や岡田健氏の指摘がある(注3)。公刊されている写真図版ではやや不明瞭で、あったが、今回の実地調査により左菩薩の宝冠には四弁の蓮華に坐す禅定印の化仏があらわされ、右菩薩の宝冠は損傷しているものの水瓶らしき表現のあることが確認できた。以上の菩薩坐像の外側に、菩薩立像を左右に五体ずつあらわす。そのさらに外側には、鴎尾をいただいた屋根をのせ、基壇上に立つ二階建ての楼閣が各一棟あらわされる。阿弥陀仏の上部には、華麗な大ぶりの天蓋があらわされ、天蓋の端からは珠を連ねた垂飾が下がる。天蓋の上部には沙羅樹のような樹木があらわされ、そこに蓮華座に坐す仏と裸形の童子が左右に各々一体ずつ配される。樹葉の向かつて左側には、供物を手に天衣を長く棚引かせた天人が雲に乗って飛来し、その背後にはパルメットを伴った蓮華の膏のようなものが飛ぴ、その下には琵琶と思われる楽器が浮かぶ。樹葉の向かつて右側には、内側カミら順に琵琶、天衣をまとって飛来する天人が配され、その下には宝珠をいただ、いた蓮華が二種あらわされる。左右の楼閣の上部には、向かつて左側では蓮華座に坐すー仏三菩薩像が二組小さくあらわされるが、画面が途中で切り取られている右側では、一仏二菩薩が一組と菩薩一体のみが残されている。それらの上部には、やはり沙羅樹のような樹葉が小さく刻まれ、樹葉には弧状の垂飾が下がっている。また向かつて左側の楼閣の外側には、椋欄のような植物があらわされる。画面下部の宝池の表現に移ると、中央の池には、阿弥陀仏正面に蓮華座にのる香炉があらわされ、その向かつて左に、聞きかけた蓮華から頭部を出した往生者と、蓮華上に坐す往生者が表現される。香炉の向かつて右には、未敷蓮華に包まれた往生者と、442-
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