鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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蓮華上に坐して合掌する往生者があらわされる。左右の池には、それぞれ抜き手をきって泳ぐ往生者があらわされており、向かつて左側の池には二羽の水鳥と開敷蓮華も刻まれている。以上がフリア美術館に所蔵される中央部分の図様であるが、つぎに南響堂山石窟第二窟に残されている、左右の明かり窓上部の小画面についてみておく〔図3〕。東側には、柱間三間の吹き抜けの建物があらわされ、瓦葺の屋根(鴎尾は確認できない)の軒先には風鐸が下がる。屋根の上には樹葉があらわされる。建物の中には、中央の聞に仏が半蜘踏み下げの姿勢で林上に坐し、その背後の左右に菩薩が各一体立つ。向かつて左の聞には、前方に菩薩が一体、中央の仏に向かつて合掌して坐し、その後方に菩薩が三体立つ。向かつて右の聞は大半が欠損しており、かろうじて菩薩立像一体のみが残る。建物の外には画面の左端に、菩薩が二体、腕を組むようにして立つ。西側には、葉を茂らせる双樹の聞に、鳴尾を載せた瓦葺の屋根をもっ柱間一間の吹き抜けの建物を刻む。建物の中には大きな林に坐す二仏と、その周囲に菩薩五体をあらわす。建物の向かつて左側には菩薩が二体坐し、その上部には宝珠が浮かぶ。建物の向かつて右側には蓮華座に菩薩が一体坐し、その頭上に宝珠が浮かぶ。この小画面のうち、左端の部分は、フリア美術館に所蔵される中央部分の一部とみられ、上部には弧状の垂飾をもった樹葉があらわされ、その下には菩薩坐像一体と仏と思われる頭部が残る。以上みてきたように、南響堂山石窟第一窟・第二窟の西方浄土変浮彫は、観音・勢至の標臓の有無や、宝池の形および往生者の表現方法など、細部においては相違があるものの、相並んで穿たれた同規模の中心柱窟の入口上部に刻まれていることや、左右に楼閣を配し、中央に樹下の仏菩薩、下部に宝池をあらわす画面の基本構成などが共通している。さらに、「法華経』の内容とも関連すると思われるこ仏並坐を含む小画面を、西側の明かり窓上部に刻んでいる点でも両窟は共通しており、これら二つの窟は、ほぼ同じ時期に共通した思想的背景のもと制作されたものと考えられる。そこで以下では、特徴的な図像を三点とりあげ、その思想的背景について考えてみたい。二所依経典の検討第二窟の浮彫では、上述のように『観無量寿経Jに説く観音・勢至の宝冠標臓が認められる。しかし従来は、それが『観無量寿経』所説と一致することが指摘されるのみで、本浮彫の他の部分についてはどうであるのかといった問題や、北斉当時の仏教信仰とどのような関係にあるのかといった問題は論じられてこなかった。-443-

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