鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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の浮彫にみられる③の未敷蓮華に包まれた往生者を、説訳『無量寿経』に説く「胎生」をあらわすと解されたのである(注9)。しかしながら、中村氏は第二窟の往生者のうち、②の半開のものを中輩、③の未敷蓮華のものを下輩とし、中輩と下輩が胎生であるとしていながら、胎生の表現としては専ら未敷蓮華に包まれた①のみを強調しておられ、疑問が残る。②の半聞の蓮華から首を出す表現については言及しておられないからである。また中村氏は、親訳『無量寿経』にいう「彼の宮殿に生まれでも、五百年間、阿弥陀仏にまみえず、経法も聞くことができない」という箇所を、「五百年間、華が聞かないjと解釈し、未敷蓮華に包まれた①の往生者表現を「胎生」とみなされたのであるが、経文では蓮華の中とは記されておらず、宮殿の中と記されていることも疑問である。そもそも先の経文では浄土に生まれてからの五百年をいっているのであるから、五百年もの問、仏にまみえない等とはいうものの、浄土には生まれ出ていると考えられるのであり、それを蓮華が五百年間聞かないと解することには無理があるのではなかろうか。中村氏が中輩と下輩を胎生にあたるとみた根拠は、経中に上輩には化生という語があるのに対し、中輩・下輩にはないという点であるが、果たしてそれが是とされるか否かも問題となろこうした解釈に対して、戦前に南響堂山石窟の綿密な調査をされた水野清一・長贋敏雄両氏は、第二窟浮彫の往生者表現について「仏前蓮上の化生には未敷の蓮華中の化生と、開花しきった蓮上の化生と数段の光景をとらへ、浄土往生のプロセスを示現しているjとして(注10)、往生の経緯を説明的に表現したものと解しておられ、私も基本的にはその見方に同意したい。ただし、そこにあらわされた浄土往生のプロセスの観念とは一体何に由来するものなのであろうか。浄土教典には共通して説かれているものなのであろうか。こうした観点から、浄土教の主要経典における往生関連記事を改めて見直すと、この第二窟浮彫にあらわされた「往生者は蓮華に包まれて阿弥陀の浄土に往き、浄土に至ったのちに華が聞いて生まれる」というプロセスは、『観無量寿経』のみに具体的に説かれていることが知られる。すなわち、いわゆる浄土三部経のうち、貌訳『無量寿経』では上輩の往生について「於七宝華中。自然化生。jという漠然とした表現があるにすぎず、中輩・下輩にいたっては「往生其国」「得往生」とあるのみで、蓮華についてはふれられていない。鳩摩羅什訳『阿弥陀経』ではさらに記述は簡素で、「即得往生。阿弥陀仏。極楽浄土。」とあるにすぎず、どのような形で往生が果たされるのか、その具体相は一切説かれない。これに対して、『観無量寿経Jには三輩往生を発展させた九品往生が説かれているが、つ。-445-

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