単に往生者の区分が複雑になっただけでなく、そこには九品の別によって往生者がどのようにして浄土に往き且つ生まれるのかが、情景的に叙述されている。そのなかで、臨終時には往生者が蓮華に坐すこと、坐し終わると蓮華は合して閉じ、浄土に至るとその華が開くという次第が、九品の品位ごとに具体的に記されているのである。つまり、往生者がいずれも蓮華の中に包まれて浄土に往き、そこで蓮華が聞くことによって生まれるのだということが明記されるのは『観無量寿経』のみに限られるのである。さらに興味深いことに『観無量寿経』では、浄土に至ってから蓮華が開くまでの時間が九品の品位によって異なることが記されている。すなわち、上品上生では「知弾指頃」つまり瞬く聞に、上品上生では「経宿」つまり一夜を経て、上品下生では「一日一夜j、こうして順に時間が長くなり、最も品位の低い下品下生では「十三大劫」という長大な時間を経た後にようやく華が開くと記されている。このようにみてくれば、第二窟にみられる①開敷蓮華の上に坐す②半聞の蓮華から首のみ出す③未敷蓮華の中に包まれる、という三種の往生者表現は、生前の行いによって蓮中に留まる時間に長短の差があると説く『観無量寿経』の経文をふまえての表現と解することができるのではなかろうか。時代は降るが、敦士皇莫高窟唐代の西方浄土変における九品往生の表現をみると、下品についてはほぼ例外なく未敷蓮華に包まれた姿であらわされ、中品は半開の蓮華にあらわされる例があることも参照される。しかし、第二窟にあらわされる往生者は、九体ではなく四体しかない(注11)。したがって、これは九品往生をあらわしたものとはみなしがたく、水野・長慶両氏がみたように浄土往生のプロセスを示現したものと考えるのが適当であろう。とはいえ、その浄土往生のプロセスの観念そのものは、上述のように『観無量寿経Jの経文がなければ生み出しえないものと考えられるのであり、そこにもまた本浮彫の背景に北斉における『観無量寿経』の受容をみることができるのではなかろうか。さらに、第一窟・第二窟ともにあらわされている、空を舞う楽器の表現についても同様のことがいえる。浄土三部経のうち、説訳『無量寿経Jには「有自然万種伎楽J、『阿弥陀経』には「常作天楽Jという記述はあるものの、その表現はきわめて暖昧で漠然としている。一方『観無量寿経』には、第二観の経文中に[有五百色光(中略)懸処虚空。成光明台(中略)於台両辺。各有百億花瞳無量楽器。以為荘厳。」とあり、また第六観の経文においても「又有楽器懸処虚空。如天宝瞳不鼓白鳴。Jとあって、虚空に楽器があることが明記されているのである。第一窟・第二窟ともにみられるこの空中の楽器表現もまた、『観無量寿経』の受容を物語るものとみなせよう。以上、南響堂山石窟の西方浄土変浮彫について、『観無量寿経』との関連を中心に考446
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