鹿島美術研究 年報第20号別冊(2003)
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@ 北尾重政の狂歌絵本制作について研究者:太田記念美術館嘱託学芸員はじめに18世紀後半の天明年問、江戸市中において狂歌が、大田南畝や唐衣橘洲、朱楽菅江などの狂歌師たちを中心に、恋川春町や朋誠堂喜三二などの戯作者や、北尾重政や喜多川歌麿などの浮世絵師たちをも取り込んで、爆発的なブームを巻き起こした。その天明狂歌流行の中で制作された狂歌絵本と言えば、歌麿による『画本虫撰』(天明8年刊)や『潮干のっと』(寛政元年刊)などを誰しも頭に思い浮かべるところであろう。その極彩色の折帖という豪華拘澗な絵本は、技術的な面からも日本版画史上欠かすことのできない名品として、その芸術性が高く評価されている。その一方、北尾重政は、歌麿と同様、狂歌壇との関わりの中でいくつかの狂歌絵本を制作していながらも、その作品について言及されること自体ごく稀である。そもそも重政という絵師が、錦絵や肉筆画よりも板本を主な制作の領域としていたため、現在の浮世絵研究の中で省みられることがあまりに少ない絵師だからである。本報告は、画業の全貌の解明が待たれる北尾重政についての研究を進める一歩として、重政の狂歌絵本に着目し、その作品目録の作成をおこなうとともに、重政が狂歌師たちといかなるつながりがあったのか、さらには、重政の狂歌絵本が浮世絵史の中でどのような位置付けができるのかを考察するものである。1.重政の狂歌絵本と狂歌壇との関わり北尾重政が挿絵を描いた狂歌本の作品全14点のリストを〔表l〕として掲載した。安永2年から文化7年まで、40年弱という長期間にわたって制作を続けたということだけではなく、天明狂歌流行以前から、天明年間の狂歌本刊行ラッシュ時、さらには、寛政の改革で武士層が狂歌壇から去り、町人層が中心となって活躍する時期と、江戸における狂歌の発展の節目節目で必ず作品を制作しているという点は驚嘆に値する。喜多川歌麿や葛飾北斎など、重政以上に作品数を残している浮世絵師はいるが、重政ほどその作品の変遷と狂歌の歴史とが密接に結び付いている絵師は他に見当たらないからである。まず、これら重政の狂歌絵本について、江戸における狂歌の流行の流れ、あるいは狂歌師たちやそのグループである連との関わりを含めて、時代を追って概観したい。重政が初めて挿絵を描いた狂歌絵本は、安永2年刊の『江都二色』である。子ども日野原健司452

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