2.『13世紀フランス語聖書』写本挿絵研究の現状『13世紀フランス語聖書』写本に関する本格的な研究は、聖書文献学の泰斗サミュエル・ベルジェが1884年に公刊した、中世の散文体フランス語聖書研究の第3部を、その日嵩矢とする。ベルジェは、当時彼が存在を知り得た写本テクストを手掛かりに、ラテン語ウルガータ訳聖書の散文体フランス語による初の全訳テクストを、『13世紀フランス語聖書j(Bible fran伊isedu Xllle siecle)と命名した。その成立時期・場所については、『13世紀フランス語聖書』には1226年頃パリ大学の主導で行われたウルガータ訳聖書の全面的な改訂の成果が反映されていることから、13世紀第2四半期のパリ大学としている。1969年に公刊されたアラン・ロブソンの論考、そして1978年オクスフォード大学に提出されたクライヴ・スネッドンの博士論文と翌年発表された学会報告論文は、ベルジェの生前には存在が知られていなかった、創世記から黙示録までの全文を収録した完本の作例3点を新たに知らしめると同時に、中世後期におけるフランス語訳聖書の歴史的展開の中での『13世紀フランス語聖書』の重要性を強調している。1988年には、他の部分に先がけて、創世記の本文および註解の校定版が公刊された。他方、美術史研究においては、フランス王ルイ9世の聖地への十字軍遠征を機にパレステイナの都市アッコンを拠点に活動した写本画家(工房)がフランス帰国後に制作したとされる作例(コベンハーゲン王立図書館)に関するJ.フォルダの考察や、1320年代イングランドで制作された個性的な挿絵サイクル(ケンブリッジ大学付属図書館)に関するM.カミールの論考などが、主要な貢献として挙げられよう。ベルジェの論考以来、研究者の一定の関心の対象となってきた『13世紀フランス語聖書』ではあるが、テクスト成立の時期・場所や成立の経緯、意図されていた読者、あるいは写本の流通や伝承の実態など、未解明の問題が少なくない。テクストの成立時期については、現存する最古の写本の年代(フランス国立図書館、Fr.899)から、ベルジェの主張する13世紀第2四半期よりはむしろ13世紀中葉から第3四半期の成立とする意見が主流となりつつあるが、定説となるには至っていない。ベルジェ以来、ウルガータ訳聖書からの仏語訳には複数の訳者が関与していたと一般に考えられているが、これらの訳者がどのようにテクストの成立に関わったのかは明らかではない。当初意図されていた読者あるいは用途に関しては、ベルジェ以来、福音書部分が典礼の際のあるいは私的な祈念の場での聖書読諦に用いられた可能性が指摘されているが、それを具体的に論証するには至っていない。加えて、『13世紀フランス語聖書』の後半部(詩篇、歳言一黙示録)は、『歴史物語聖書』(1297年頃成立)の改訂版の一種であ472
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